油流出事故の恐ろしさ(Exxon Valdez号を例として)
(Major Impacts of Oil Spills -- Example of Exxon Valdez Oil Spill)

油汚染が起きると、生態系にどのような影響が出るのでしょうか。1989年にアラスカで起きたエクソン・バルディーズ号の事故の例を見てみましょう。原文はAlaska's WildlifeのVol. 25 ( 1 ) で、訳は、研究会会員の中澤 鳰さんによるものです。

考古学的資産
著名な19の地点で被害が出ている。多くの地点で、そこで得られる知識が多ければ多いほど、損傷のリスクもより大きい。
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食料生産
油流出の年、汚染域の村々で収穫高の減少が77%にのぼった。Tatitlekでは数タイプの収穫物の収穫が半分にまで落ち込んだ。1991年までにコディアクとクック湾下流部では若干持ち直したものの、TatitletやChenega bayでは殆ど回復していない。
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鳥類
3万6千羽の死体が発見された。30万から64万5千羽が最初の月に死亡しており、汚染による慢性的な影響による繁殖力低下のため、続く数年の間にさらに多くの鳥たちが失われた。

ウミガラス
17万5千から30万羽が死亡したと見積もられている。油に汚染されたコロニーでは通常の繁殖行動パターンが崩壊しているのが見られた。大きなコロニーの幾つかでは、1989年・1990年・1991年は全く繁殖できなかった。そのため少なく見積もっても30万羽の雛が失われた。

シノリガモ
約1000羽が死亡。200羽の死体が見つかった。1989-1990年には、シノリガモの33%が衰弱しそのほぼ全個体が1990年・1991年・1992年には繁殖できなかった。

ハクトウワシ
151羽の死体が見つかったが、全体で900羽もが死亡したと見積もられている。プリンス・ウィリアム・サウンドでは卵の85%が孵化できなかった。1990年には繁殖率が回復した。ただし慢性的な影響が懸念されている。

他の海鳥
37万5千羽から43万5千羽が死亡したと見積もられている。39種のうち16種が1972-1973年のデータと比較して個体数を減らしている。クロミヤコドリ、ウミガラス、ウミバト、キョクアジサシ、エトピリカは、油流出以前の1984年と比べても明らかに個体数が減少している。海鳥全体の回復状況は完全には調査されていない。

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陸生哺乳類
アメリカクロクマ(BROWN AND BLACK BEAR)と(シトカ)オグロジカに関しては、油に曝されたという証拠はあるが、明らかに汚染が原因という被害は観察されていない。

カワウソ
12頭の死体が見つかったが、死亡数はもっと多いと見られている。血液と胆汁中に炭化水素が見つかっている。油で汚染された地域は餌が減ったため、そこに住むカワウソたちはかなり広範囲に渡って餌探しをする必要に迫られたため、(1991年末になっても)体長と体重が減少したままである。
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海生哺乳類
ラッコ
1013頭の死体が見つかった。3500頭から5500頭が死亡したと見積もられている。プリンス・ウィリアム・サウンドにおける個体数は、非汚染地域で13.5%増加しているのに対して汚染地域では34.6%減少している。保護し回復したラッコ45頭にタグを付けて放したが、30頭が死亡したか行方不明になった。繁殖適齢期の成獣と幼獣の死亡率がより高くなれば、絶滅に瀕したラッコの年齢構成に重大な変化をもたらす。1990年と1991年の船からの調査では、はっきりとした回復の兆しは見いだせなかった。

シャチ
プリンス・ウィリアム・サウンドに住む"AB群"では、36頭(1988年)から29頭(油流出後)、そして23頭(1990年)と減少している。この群れの流出以前の平均死亡率は6%であった。幼獣を連れた雌が通常以上に失われることは、群れの社会構成に重大な変化をもたらす。背びれがつぶれた雄もいた。36頭の群れへの回復は15年を要する。1990年以来2頭が産まれているが。流出した油がどのような連鎖で被害を及ぼすのかは明らかになっていない。

ゴマフアザラシ
200頭が死亡したと見積もられている。1991年の春、胆汁中の炭化水素類が高濃度を持続した。これは油に曝され続けていた事を示している。多くのアザラシの脳障害が報告され、流出後の異常な行動と関係のある可能性が高まっている。1991年、個体数は低迷したままだが、若干の回復が見られた。

他の海洋生物
1989年、ザトウクジラが本来の棲息域から姿を消したことや、トドが受けた被害については詳細な報告がない。
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生態系

潮間帯
1565マイルにわたって海岸線が油で汚染された。潮間帯に住む全ての生命体の個体数と棲息密度が減った。ただし、ムラサキガイは例外である。ムラサキガイの個体数は増えたが個体サイズは小さくなった。油は自然に浜辺から消えるが、それは潮下帯に運ばれただけであり、汚染は続いている。1991年には高濃度の油がムラサキガイとその下の底質に発見されており、この事によりムラサキガイが他の動物に比べて油汚染の広がりを調べるのに優良な指標になっている。褐藻域の比率が減り、代わって先駆植物が増えた。

潮下帯
1989年から1991年にかけて潮間帯の底質中の油の濃度は下がったが、潮下帯浅瀬の底質の濃度は変わらないか若干増加した。1990年には油で汚染された底質が330フィートにわたって見られた。アマモ群落への被害により浅瀬の海底に棲息するカニや端脚類のような無脊椎動物が減り、かわりに腐肉食種が増えた。1991年には個体数が幾分か回復した。海底やその周辺に棲む動物は、通常の状態以上に炭化水素類に曝され続けている。二枚貝は成長が遅れている。膨大な数の二枚貝が、海岸の汚染を取り除く際に破壊された。
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魚類
成魚も死亡したが、卵や幼魚への被害のほうが重大である。特に潮間帯に棲息・産卵する種(サケ)や潮下帯に棲息・産卵する種(ニシン)あるいは浅瀬で餌を探す種(オショロコマとニジマス)である。

カラフトマスとサケ
油で汚染された河川での卵の死亡率は、油のない河川と比べて、それぞれ67%(1989年)、51%(1990年)、96%(1991年)、大きかった。1991年には、油の届いていない上流で死亡率の増加が見られたが、おそらくこれは遺伝子に受けたダメージの結果であろう。若魚の成長率が落ち(通常より25%小さい)、成魚まで成長した個体の率が落ちた(43%落ちた)。1989年には汚染された河川のいくつかで、稚魚と二年魚に奇形が見られた。1990年のサケ・マスの漁獲高は、汚染されていない場合に期待できる漁獲高よりも20%から25%低いと分析する専門家もいる。1992年は前年に比べて漁獲高が約25%落ちた。

ニシン
1989年と1990年は卵・幼魚の死亡率、成魚の機能障害と寄生虫による発病および奇形が汚染された海域で非常に多かった。しかし1991年には油の汚染海域と非汚染海域との間に際立った違いは見られなかった。だが1992年の産卵回遊群の中に、ニシンの3年魚の数が著しく少なかった。

オショロコマ(Dolly Varden)/ニジマス(Cutthroat Trout)
1989年から1990年にかけてのオショロコマの成魚の生存率は油の汚染域で38%小さかった。ニジマスの場合は29%小さかった。両種とも、1989-1990年には成長が通常よりも約43%小さかった。が、1991年には回復した。1991年は生存数は汚染域で依然として小さいままである。油の曝露が減っているにもかかわらず。

ベニザケ
キーナイとコディアク島周辺の過剰退避(overescapement)の結果、餌がほとんどなくなってしまい、若魚の生存率は低かった。これにより成魚の回帰率が、1994年と1995年にはコディアクで20〜50%、キーナイで90%減少するだろうと予想された。そしてこの傾向は続くだろうと。

rockfishと他の海魚
rockfishは1989年にはかなり死亡した(200尾の死体が観察された)。また機能障害のような致命的な傷害も。炭化水素類がオヒョウやポラックやrock(fish)の胆汁、キハダマグロ、ソール(flathead sole) 、ニシン、マダラ、そして1990年には、ギンダラ、カレイから見つかっている。

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Compiled by Koji Ono kojiono@gol.com
Revised: 20 June 1997
URL: http://www2.gol.com/users/kojiono/index.html