牧野富太郎をめぐる謎-1
『植物学雑誌』の首唱者は誰なのか?
牧野富太郎について書かれている書物、ホームページは少なくない。生前に書かれたものから、最近になって書かれたものまで、さまざま存在している。なかで、必ず紹介されているのが、ヤマトグサの発見および学名をつけたこと。『植物學雑誌』の創刊に関わったこと、スエコザサの発見・命名である。まるで三題噺のように、よく書かれている。これが牧野富太郎の偉大さを象徴するかのようだ。
しかし、最近書かれた文章には、既成の文章の孫引き、ひ孫引きも少なくなく、似たような表現になっているのが多い。その多くが、牧野富太郎が最初に思いつき、学生だった市川延次郎、染谷徳五郎とともに創刊した、というような内容になっている。必ずしも「牧野が言いだした」と書かれていなくても、「市川延次郎、染谷徳五郎と『植物学雑誌』を創刊」と書かれていると、牧野が考え出した、ととられがちである。はたして実際のところは、どうなのだろう。というわけで、『植物学雑誌』について、その発刊の経緯を調べてみた。
1.の「日本植物学会の創設」は、学会の成立過程なので、内容は直接的には関係ない。なので、早く内容に入りたい場合は、2.の「『植物学雑誌』の首唱者は牧野富太郎?」から読み始めいただいて結構である。
- 日本植物学会の創設
- 『植物学雑誌』の首唱者は牧野富太郎?
- 牧野自身は、自分が提唱したと書いていない
- 第三者はどのように書いているか
- 牧野が、首唱者の氏名を書いていた
- 意図的に感じられる牧野の神格化
- 自叙伝を書いたのは、牧野富太郎なのか?
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