2018年11月1日
2.なぜ <昔の○○で> 群れるのか?
もう10年来?大学のクラスメートと年に3回ほどインフォーマルなこじんまりした同窓会を開いている。このことは何度か、HPにもネタにしている。
過日、ここでのNとの会話である。
私「ねえ、あなたも大企業に定年までいたから訊くんだけど。会社を辞めてからも同期会とか、ナントカの会とか集まることってあるの?」
N「うん、あるよ。たとえば 転勤でアメリカに行っていたときのヒューストンの会とか、シカゴの会とかね」
私「それって 楽しいの?」
N「いや―楽しくないねえ、だから 僕はだんだん楽しくない会合には出なくなったなあ」
私「そうだよね、私も高校の同窓会は、辞めたわ。同じメンバーで同じことを話して、同じオチで笑ってーー何が面白いんだろう?と思うけどね」
N「うーん。安心なんだろうね。特に男は とにかく定年(60歳?)まで働ききったことに満足して、それから新しいことが始められないんだよ。だから 居場所を求めて、昔の仲間が集まる、まさにそういう場所へいくんだろうね。そこぐらいしか行くところがないんだよ」
私「そうか、そういうことなのね。私なら、仕事というしがらみから解放されて、やりたいことがいっぱいあるのに、、。Nさんも そうじゃない!?」
N「そうだよ。義務としての仕事は終わった、さあこれからが、本当にやりたいことができるーと 僕は思ったね。新しいこと、これまでやりたかったけどできなかったことをやるぞーと思ったね」
多くの人にとって、内館牧子さんの小説「終わった人」というのは真実?なのか。
何げなくNが言った「新しいことが始められない」という言葉が、新鮮だった。特に大企業で働き、定年まで全うした男たちは<元○○勤務><元○○部長>という過去の栄光にしばられている人が多いようだ。
そんな話の後で、今はおじいちゃんになったクラスメートたちを眺めてみると、ひとりひとりが声高に「今の自分」を語っている。あるいは学生時代からは想像もできなかった「自分のルーツ」を熱く語っている。どれもこれも初めて聞く話ばかりだ。
だから、この集まりが続いているのだ「また行きたい、集まりたい」と思うのだ、とあらためて納得したのだった。
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