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ネパール日記
 

素人の目で見たネパールでの日々です。
未熟な理解や誤解もあるかもしれませんが、活動報告の一片としてお読みください。


1月

 クリスマスから正月のシーズンも済み、繁華街には観光客も少なく、寂しいぐらいの静かさ。昨年から頻発気味の、マオイストと、警察や軍との衝突も影響しているのかもしれない。トラブルは僻村地方に限られ、外国人へ危害が加わることはまずないが、昨今の複雑な世界情勢を考えれば、「テロ」有り、と報道されている国への観光に二の足を踏むのは無理のないことかもしれない。ホテルや店の景気は、「So-so.(ぼちぼち)」らしいが、昨年既に大幅ダウンしていた景気をさらに下回っているという。唯でさえ過剰供給気味のホテルやレストランはどうやって食べているのか…。

 ポカラでは、昨年駒ヶ根市の病院で研修していたDr.ゴートンを、病院に訪ねた。心臓を専門とする彼の診察室の前には人々が長い列をなしている。ここで通 常の勤めを終えた後、彼は毎日少なくとも二時間を、貧しい人々のためのボランティア診療にもあてている。
 ネパールはまだカースト制が残るが、Dr.ゴートンは自らトイレ掃除をして衛生意識の変革を促したり、様々な奉仕活動に時間と労力を捧げながら、常に向学心も持ち続けている人だ。今回も、ちょうどダグラス・ファーがアドバイスしたエコ・トイレの建設を仲間たちと完了したところだったし、ご自身は、後輩育成のため、大学教師の資格を取ろうと再び留学・博士号の取得を計画中だった。又、ネパール近隣では初めてという、東芝製の最新式の超音波による血流検査機器も購入したところで、地域の人々によりより医療を提供しようと、精力的で多忙な日々を送っている。

 SCDC用に新しいプリンターを購入して、タトパニへ。今年は、村に湧くミネラル水をオゾン浄化するボトリングビジネス計画のために、二万五千円も超過料金を払った重い重いスーツケースを運ばなければならない。早朝、タクシーで、近年発展の著しい町ベニへ。ここからポーターに荷を預けて、私たちも渓谷沿いのトレッキング道をひたすら歩く。平均的なネパリなら五時間前後の道程だが、荷が重い上に、若い、不慣れなポーターたちは八時間近くもかかった。それでも、30kg近い荷を背負ってアップダウンのきつい山道をゴム草履で歩くのだから、私たちにはとてもできないことではあるのだが…。

 村の様子を見ながら、橋のデザインを完成させ、作業に。ところが、乾季には珍しく雨が多かったり、日中定期的に停電があるため、溶接作業は予想外にはかどらなかった…。 ⇒詳細は「橋」プロジェクト

 余 談
 ネパールの犬の寝姿はしどけない。四足を投げ出して、道の真ん中に猫のような顔をして寝ている。ミュール(ラバ)の一団がやってきてもめったに動かない。塀の上に寝ているヤツもいる。夜だけは狂ったように一晩中吠えるが、ネパリに言わせるとそれが彼らの仕事だとか。「人には見えないモノ」に向かって吠えているらしい。確かに、マイケルと呼ばれる子犬は、私たちにじゃれていたかと思うと突然中空に向かって吠え出したりしたっけ…。

 

2月
 資材購入と、メールチェックのためにポカラへ。一昨年、マオが村に続く電話塔を壊したので、不便である。…ちょうど旧正月だったので、ポカラは中国人観光客が多く、ひと月前よりは賑やかなようだ。ESIで企画したネパールツアーは、申し込みがなく断念。残念。小学校のトイレの汚水浄化に使えるかどうか調べるために、ペワ湖河畔で水草を採取。土手に干からびたウールのようなものが散乱しているので、何かと思えば、水の浄化に非常に有効な、別 種の水草だった。聞けば以前は湖面を豊かに覆っていたのに、美観を損ねるからと一斉撤去されたらしい。!!!

 タトパニに戻ると、政局に変化が。マオと国王側との間に休戦が成立し、話し合いの場を持つことになったらしい。ネパールでは、役人や政治家、警察などの汚職が著しいと言われ、それに対立する形のマオは一般 市民には密かに支持されていたとも聞いたが、昨今は、金の無心や息子の徴兵?、公立学校への圧力など市民の不安も増していた。私たちが帰国する頃には、マオイストのリーダーらが公に姿を表わし、今後、政党としての政治参加を求めていたようだったが…。容易な道程ではないだろうが、若い人々が自分の国や将来に希望を持てるような環境に一歩ずつでも近づいていくことを心から願う。
 ちなみに、村には二度マオの一団が現れ、人々に彼らの「政治理念」を宣伝していった。ロッジで橋の溶接作業中だったダグラス・ファーにもインタビューが。
 「これは政府のプロジェクトか?」
 「とんでもない。政府はこんなことにお金を払わないでしょ。これはぼくの私的なボランティアです。」
 「どうしてこんなことをするのか。」
 「以前、ネパールの人々に大変よくしてもらったことが忘れられない。何か恩返しをしたくて取り組んでいる。」
 「なるほど、それは大変結構。」
…こんなやりとりで無事放免?されたが、私たちの活動を好意的に受け止めてくれたようではあり、ひと安心。

 さて、トイレの建設も始まり、ダグラス・ファーは毎日忙しい。図面 を作り、時には通訳も交えて打ち合わせはするものの、スタッフのリーダーであるダワは、腕も立つが頑固者。結局ダワ流で仕上げてしまい、それがダグラス・デザインより優れていることもあれば、後始末に二倍三倍の時間と手間がかかることもある。要所要所で現場監督が必要なのだ。けれど、人力だけで行われる彼らの仕事ぶりは素晴らしい。人の手ができること、そこにあるものの活かし方をあらためて学ぶことができる。 ⇒詳細は「トイレプ」プロジェクトを。

 今年はすでに雨が多く、カリ・ガンダキの水は黒く濁り、水位 も上がっている。気温も上がり、トレッカーも増え、ロッジや村も活気を帯びてきた。

 余 談
 ネパールの子供たち。三百以上の音を含むネパール語を話す彼らの耳は、抜群だ。耳に入った観光客の話す外国語をその場で正確にコピーする。「路上保育所」で、ご近所全体から育てられている彼らは、シャイだけれども人懐っこい。が、好奇心も吸収力もある彼らが高校を卒業しても、村では、なかなかその力を試すような仕事は得られない。ケ・ガルネ?(= what to do?/「しょうがないね。」 )を口癖にして村に残るか、あるいは不法入国者として外国へ出稼ぎに行くか。SCDCでは、来年、コンピューターの教室から仮スタートし、こうした青年たちの支援を予定している。

 

 

3月
 橋も八割がた仕上がり、ビザ更新と、資材調達、メールチェックのためにポカラへ。今回は、ライバル?の偵察も兼ねて、もうひとつの温泉シンガ・タトパニに寄り道した。ここは、まさに治療の湯で、町中が宿屋、湯治客は自炊しながら長期滞在する。観光客は余り訪れないネパール人の温泉宿だった。帰路は、ジョムソン(2743m)まで飛び、タトパニ(1189m)まで歩いて降ってきた。ジョムソンでは、近藤氏が育ててきたムスタン・ディべロップ・センターのオフィスを訪ね、日本が援助したリンゴ園の美しい村マルファ、新潟県に姉妹村があるトゥクチェなどを通 り抜けてきた。

 村では二つのプロジェクトも先が見え、落ち着いて進行している。トイレや橋の土台に使う石運びは村人や子供が手伝ってくれた。トラブルもいくつかあったが、SCDCは村のNGOで、ダグラス・ファーはスポンサーに過ぎず、理事やスタッフリストに彼の名前はない。コミュニティのために、コミュニティの人々自身が資金や時間や手間や知恵を出し合えるような、意識や組織の環境を整えるにはこれからも時間と試行錯誤が必要だろう。 「ビスターレ・ビスターレ(ゆっくり、ゆっくり)」は、ネパリの合言葉。一足ずつでも、休みながらでも、歩き続けていれば、三千メートル高をアップダウンするアンナプルナ・トレッキング道も踏破できる。私たちもコミュニティの一員として、コミュニティが求めるものを一緒に考えながら歩んでいきたい。

 橋は、手前半分を仕上げたところで、すでに川の水量 が増し、川幅も一月当初よりかなり広くなったので、今年の使用は無理と判断、取り外して、来年まで片付けることにした。トイレは殆んど完成したが、お披露目?は、新学期のスタートに合わせることに。残念ながら私たちはその頃日本である。仕上げの打ち合わせを念入りにして、後ろ髪を引かれながら帰国の途についた。

 余 談
 ネパールの伝統的な家、というのは、地域によっても異なるが、タトパニ村がある旧「塩の道」沿いでは、石をレンガのように積み上げた壁に、板状にした石の瓦をのせている。斜面 に作った段々畑の中で、それは日本の田舎のような美しい光景だ。一方、町ではコンクリートのビルや建物が主流だが、ネパールのコンクリートは高い。良質な赤土が多いネパールに、ラムド・アースによる建築手法を普及させることは、ダグラス・ファーの夢のひとつでもある。又、帰国前に立ち寄った古都バクトプルは、木彫りの窓枠で飾られたレンガ造りの古い建物が、京都や奈良のような美しさを醸し出している。こちらは、ドイツのボランティア団体などがその修理、保存に活躍しているようだ。

以 上、SCDCでの活動やネパールツアーに興味のある方は、esi@gol.com までご連絡ください。