資料9:ストップ子ども買春の会の政策提言に対する懸念

 

今年の一月に、ストップ子ども買春の会などが中心となって作成した児童買春児童ポルノ処罰法改正ついての要望書が発表されました。この要望書は細かな配慮に欠けており、もしその内容が現実のものとなれば様々な人権侵害が起きる恐れがあります。

法改正に向けて_NGO要望書
http://ecpatstop.org/kinshi_hou_youbou_shyo.html

 第一に、この要望書は子どもポルノの定義を拡大して文字や音声も規制対象とすることを求めており、もしこの要望書通りに法律が改正されると、子どもの性的虐待を取り扱った書籍が規制対象となる可能性があります。さらに単純製造、単純所持の禁止も求めているため、性虐待の被害者が自分の体験をプライベートに書き記すことすら犯罪となる恐れがあります。

 性虐待被害者の声を反映させるように求めておきながら、上記のような事態を避けるための配慮は要望書から一切読み取ることができません。「言葉は思想をつくる」と仰っている宮本さん達が、なぜこれほど言葉を奪われる痛みに鈍感なのか理解に苦しみます。

 第二に、要望書は子どもポルノの単純所持、単純製造を求めています。しかし、最近はデジタルカメラが普及し、携帯電話にも撮影機能のついているものが増えてきました。このため、子どものカップルが子どもポルノに該当する写真を撮る可能性が全く無いとは言い切れません。単純所持、単純製造を禁止して広範囲に網にかければ、子どものプライバシーを徒に侵害することになりかねません。

 先日発表された自民党の改正案にも子どもポルノの単純所持、単純製造の禁止盛り込まれていますが、要望書と同様の問題を抱えています。もっと条件を狭くしたり、あるいは児童福祉法淫行罪や強制わいせつ罪といった既存の法律を適用するなどして、虐待のある場合のみに的を絞る必要があると考えます。

 第三に、要望書は被害を受けた子どもへの対応をPTSDに限定しており、これではPTSDではなくとも何らかの問題を抱えている子どもを無視する事になってしまいます。

 要望書の呼びかけ人の一人である国際子ども権利センターの甲斐田万智子さんは、「女たちの21世紀」の29号で、子ども買春について「確かに、買われる側において、18歳未満であれば、圧倒的な力関係によってノーとは言えない状況の中での買春ですから、精神的ダメージも大きい性被害であり、はっきりと性的虐待ととらえ、処罰されるべきだと思います」と書いていますが、これは余りに一面的な子ども像です。

 確かに甲斐田さんが指摘するような例もあるのですが、こうした最もひどいケースが一般的であるかのように考えるのは危険です。こういった被害者像に当てはまらない子どもへの配慮が疎かになりますし、「PTSDにならないような、好きで体を売っている子どもは被害者ではない、処罰してしまえ」という考えに法的な根拠を与えてしまう事にもなりかねません。

 このように問題の多い政策提言をストップ子ども買春の会がしてしまう背景には、無視できないほど偏った広報活動をするなど(資料1資料2資料3資料4資料5資料6資料7資料8を参照)、正しい事実認識や細部の検討を重要視しない活動姿勢があるのではないでしょうか。

 なお、要望書は子ども買春や子どもポルノを防止するための教育を義務教育で行うように求めています。三月末にストップ子ども買春の会ユースαが企画した集会においても、ユースメンバーが商業的性的搾取の防止のためには性教育が重要だと訴え、同席していた日本キリスト教婦人矯風会の方も人権に基づいた性教育を強調していたそうです。

 しかし、そのユースの発言内容から窺えるのは、道徳に基づいて「快楽としての性」を否定する禁欲のようです。過度の性的抑圧を思春期に受けることが健康的であるとはいえません。もしこれが義務教育で行われるとするならば極めて問題だと考えます。さらに、禁欲は生殖目的以外の性を否定することであり、女性の社会進出を阻んだり、同性愛者に対する差別を悪化させることにも繋がります(資料10を参照)。