資料10:
ストップ子ども買春の会の子ども参加に対する疑問

 子どもの商業的性的搾取に限らず、子どもの権利の問題では子どもの参加の必要性が言われています。去る三月二十九日にも、ストップ子ども買春の会ユースαの主催で「世代別・男が語る!『なぜ起こるのか? 子ども買春・子どもポルノ』」と題した集会が行われています。しかしながら、同会の子ども参加のあり方には疑問を覚える点が少なくありません。

 第一に、ストップ子ども買春の会は常々ポルノが有害だと訴えていますが、この集会ではその主張と全く矛盾する事が行われていました。

 ポルノの有害性について、同会の共同代表である中原眞澄氏は次のように書いています。
(以下引用)
 「また、日本の子どもポルノサイトの多くはコミックであり、その用途は実写と変わらない。描写の暴力性は実写より悪質な場合も多く、子どもに与える悪影響は一層大きい。それゆえ、コミックやアニメも含め、子どもに対する性暴力・搾取が目的として明らかな場合は、子どもポルノに含めて禁止するべきである。」

(引用元)「月刊社会民主」二〇〇〇年三月号
 それにもかかわらず、ユースα集会では、ユースが自分でインターネットから集めた漫画風の性的なイラストを「擬似ポルノ(資料6を参照)」と呼んで批判し、希望者に閲覧させていたとの事です。

 個人的には、子どもが自発的にするのであれば、そのような行為に悪影響があるとは思いません。しかし、ストップ子ども買春の会はポルノが子ども達に悪影響があると信じているのですから、主張と行動が明らかに矛盾しています。そればかりではなく、子どもが「非常に危険な行為」をしているのを敢えて止めていないことになります。

 第二に、これまでストップ子ども買春の会が行ってきた広報活動(資料1資料2資料3資料4資料5資料6資料7資料8を参照)と同様に、同会がユースαの子ども達に伝えている情報にも偏りが見られます。

 例えば、ユースα集会では「アジア地域の子ども買春観光客は日本人が最多である」という前提で話しが進められていたそうです。そこで紹介されたワールドビジョンのデータによると、一九九〇年代後半には日本人が最も多かったそうです(タイやフィリピンなどの限定された地域についてのデータではないかと思うのですが、詳細は不明です)。

 ところが、国際エクパットの調査によると、一九九二年から一九九四年の間に子ども買春で逮捕された外国人男性160人の出身国別内訳は、多い順に、アメリカ(40人)、ドイツ(28人)、オーストラリア(22人)、イギリス(19人)、フランス(10人)、日本(7人)、カナダ(7人)、スイス(5人)、スウェーデン(4人)、デンマーク(4人)、オーストリア(3人)、ベルギー(3人)、オランダ(3人)、スペイン(1人)、サウジアラビア(1人)、南アフリカ(1人)、となっています。

 この調査結果は国際エクパット名誉議長であるロン・オグレディさんの著書に書いていますす。ストップ子ども買春の会共同代表の中原眞澄さんも、「社会民主」一九九八年十一月号でこの調査を取り上げています。

 ところが、ユースはこの調査を知らなかったとのことです。子どもの商業的性的搾取がなぜ起きるのかを考えるのであれば、一面的でない幅広い情報が必要です。上記の国際エクパットは一九九〇年代前半のものですが、それでもこの調査について教えず安易に「日本が最大の加害国である」という結論の方向付けを行うことは、成長期にある子どもから思考の芽を摘むことになります。

 なお、ユースが「擬似ポルノ(資料6を参照)」として集めた画像の中には、国際エクパットが擬似ポルノと呼んでいる合成画像は一枚も無かったとの事です。従って、ストップ子ども買春の会は「擬似ポルノ」の定義もユースにきちんと教えていないものと思われます。

 第三に、ストップ子ども買春の会は子ども買春や子どもポルノを防止するために人権に基づいた性教育が重要だと主張していますが、ユースの発言から窺えるのは道徳に基づく禁欲教育のようです。

 会場では、アダルトビデオなどの「セックスは気持ちいい」という情報が氾濫している、例えゾーニングしてもどうしても見たい子どもは手に入れてしまう、と批判した上で、性を逃避先と捉え、「不良のレッテルを貼られて学校からドロップアウトし、性に逃避して援助交際に到るのではないか」、「ユースαの活動に行き詰まると性に逃げたくなる」、などと述べるユースがいたそうです。

 こうした発言からは、ストップ子ども買春の会ユースが「快楽としての性」にとてもネガティブなイメージを抱いているのではないかという印象を受けます。

 さらに、十代の女性向けファッション雑誌に「どうすると気持ちよくなるか」という情報が書いてある、という批判もユースから出ていたそうです。この類の雑誌には読者の性体験が掲載されていることがあります。従って、件の要望書(資料9参照)の通りに文字の規制も行われたとすると、読者の子どもが子どもポルノの罪で処罰されることになります。

 (十代の女性向けファッション雑誌の件で思い出されるのは、一九二八年に日本キリスト教矯風会が内務省に請願した婦人雑誌の性愛記事の取り締まりです。この頃の婦人雑誌に性的な情報が掲載されていた背景には、当時の女性が受けていた性的な抑圧があったのですが、矯風会は性道徳保持の観点からそういった記事の規制を求めました)

 快楽としての性を認めないということは生殖目的以外の性を(自慰も含めて)排除するということです。そうすると、現代日本においては未成年者が自分の子どもを育てるのは経済的に困難ですから、結果的に子どもや若者は過度の性的抑圧を受けることになります。若い頃に、特に思春期に過度の性的抑圧を受けることが健康的であるとはおよそ考えにくい事です。また、生殖のための性以外を禁止することは女性の社会進出の妨げになりますし、同性愛者に対する差別の悪化にもつながります。

 なお、学校の男性教師が女性器の名前を口に出して言えないという例を挙げ、性についてオープンに話せる環境が必要だと語っていたユースがいたそうですが、快楽としての性が刑法によって禁止される環境は性についてオープンであるとは言えません。性について語りにくくなれば、結果的に子どもの性的虐待が隠蔽されて一層深刻化する事も考えられます。

 会場にいた日本キリスト教矯風会の方々は人権に基づいた性教育の必要性を訴えていたそうで、件の要望書でも(資料9を参照)義務教育における子どもポルノ子ども買春防止のための教育を求めていますが、前述のようなユースの発言が「人権に基づいた性教育」の結果ならば非常に憂慮せざるを得ません。これでは性道徳に基づいた禁欲ではないでしょうか。件の要望書(資料9を参照)にしても、こういった性道徳から逸脱する子どもは想定外になっているような印象を受けます。


 以上のような、子どもに敢えて「危険な行為」をさせておき、十分な情報を伝えず、人権教育として禁欲を教えているストップ子ども買春の会の子ども参加のあり方は、どこかおかしいのではないかと思います。