資料10:
ストップ子ども買春の会の子ども参加に対する疑問
なお、ユースが「擬似ポルノ(資料6を参照)」として集めた画像の中には、国際エクパットが擬似ポルノと呼んでいる合成画像は一枚も無かったとの事です。従って、ストップ子ども買春の会は「擬似ポルノ」の定義もユースにきちんと教えていないものと思われます。
第三に、ストップ子ども買春の会は子ども買春や子どもポルノを防止するために人権に基づいた性教育が重要だと主張していますが、ユースの発言から窺えるのは道徳に基づく禁欲教育のようです。
会場では、アダルトビデオなどの「セックスは気持ちいい」という情報が氾濫している、例えゾーニングしてもどうしても見たい子どもは手に入れてしまう、と批判した上で、性を逃避先と捉え、「不良のレッテルを貼られて学校からドロップアウトし、性に逃避して援助交際に到るのではないか」、「ユースαの活動に行き詰まると性に逃げたくなる」、などと述べるユースがいたそうです。
こうした発言からは、ストップ子ども買春の会ユースが「快楽としての性」にとてもネガティブなイメージを抱いているのではないかという印象を受けます。
さらに、十代の女性向けファッション雑誌に「どうすると気持ちよくなるか」という情報が書いてある、という批判もユースから出ていたそうです。この類の雑誌には読者の性体験が掲載されていることがあります。従って、件の要望書(資料9参照)の通りに文字の規制も行われたとすると、読者の子どもが子どもポルノの罪で処罰されることになります。
(十代の女性向けファッション雑誌の件で思い出されるのは、一九二八年に日本キリスト教矯風会が内務省に請願した婦人雑誌の性愛記事の取り締まりです。この頃の婦人雑誌に性的な情報が掲載されていた背景には、当時の女性が受けていた性的な抑圧があったのですが、矯風会は性道徳保持の観点からそういった記事の規制を求めました)
快楽としての性を認めないということは生殖目的以外の性を(自慰も含めて)排除するということです。そうすると、現代日本においては未成年者が自分の子どもを育てるのは経済的に困難ですから、結果的に子どもや若者は過度の性的抑圧を受けることになります。若い頃に、特に思春期に過度の性的抑圧を受けることが健康的であるとはおよそ考えにくい事です。また、生殖のための性以外を禁止することは女性の社会進出の妨げになりますし、同性愛者に対する差別の悪化にもつながります。
なお、学校の男性教師が女性器の名前を口に出して言えないという例を挙げ、性についてオープンに話せる環境が必要だと語っていたユースがいたそうですが、快楽としての性が刑法によって禁止される環境は性についてオープンであるとは言えません。性について語りにくくなれば、結果的に子どもの性的虐待が隠蔽されて一層深刻化する事も考えられます。
会場にいた日本キリスト教矯風会の方々は人権に基づいた性教育の必要性を訴えていたそうで、件の要望書でも(資料9を参照)義務教育における子どもポルノ子ども買春防止のための教育を求めていますが、前述のようなユースの発言が「人権に基づいた性教育」の結果ならば非常に憂慮せざるを得ません。これでは性道徳に基づいた禁欲ではないでしょうか。件の要望書(資料9を参照)にしても、こういった性道徳から逸脱する子どもは想定外になっているような印象を受けます。
以上のような、子どもに敢えて「危険な行為」をさせておき、十分な情報を伝えず、人権教育として禁欲を教えているストップ子ども買春の会の子ども参加のあり方は、どこかおかしいのではないかと思います。