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和言葉の「いろ」には、もともと「色彩」の意味はありませんでした。それは、自分が尊敬している人、愛している人に対して使った言葉です。「いろせ」は兄の敬称で、「いろね」は姉の敬称。「いろも」は恋する者一般
の呼称なのだそうです。大岡信さんの『日本の色』(朝日新聞社)に教えられた知識。つまり「いろ」は、たいへんあたたかく、胸ときめくような響きのある言葉です。
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それでは漢字の「色」はどうでしょうか。色という文字の上の部分の「ク」は人の形で、下の「巴」も人。こちらはひざまずいている人で、その原形とされる文字「觸」や「蜀」は、2つのものが互いにさわり合ったり、くっついたりする状況を表しているというのです。つまり人と人がもつれあっている様子。それで色という文字は「交情」というか「セックス」を表すものと解釈されるようになりました。
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愛し合い尊敬し合う相手を示す大和言葉の「いろ」と、やや直接的な表現として使われたらしい漢字の「色」は、互いに結びつくことで、理想的な男女関係を言い表す言葉になりました。美しい相手、愛する相手、両者の深まりゆく関係などを、「色」という文字または言葉が適切に表現するようになったのです。そのような美しい男と女の関係が「色」そのものと同じ文字で示されることについては、誰しも異存のないところでしょう。
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人が集まって酒でも飲むと、しぜんに歌が出てきます。そんな作者不詳の歌が昔から多くあり、「歌謡」と呼ばれてきました。古代歌謡の代表は「記紀歌謡」で、それは『古事記』と『日本書紀』に収録されているものを指します。前者に112首、後者には128首。歌のテーマは労働や信仰に関するものもありますが、やはり性がらみのものがめだちます。それに、男女の心理の機微といったものが、いまも昔も変わらないこともわかり、楽しいのです。
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その一例。オオクニヌシノミコトと妻のスセリヒメは、よく喧嘩をしました。スセリヒメが、たいへんなヤキモチ焼きだったからです。嫌になったミコトは出雲の国から逃げ出そうと決心し、着替えを始めます。まず着てみたのは「ぬ
ばたまの黒き御衣」で、次は「そにどりの青き御衣」です。「ぬばたま」は黒にかかる枕詞。「そにどり」はカワセミです。あれやこれやのすえ、ようやく決まったのは「山県に蒔きしアタネつき染木が汁に染め衣」でした。山県は山の畑、アタネはアカネ。ああでもない、こうでもないと時間を稼いだミコト。実は、奥さんに引きとめてもらいたかったのですね。
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ぢりめん白いところをなめるよう」これは江戸中期の川柳集『末摘花』の傑作。2つの色のからみが、その場の雰囲気をいきいきと伝えてきます。ところで、末摘花はキク科の二年草、紅花のことです。『源氏物語』の末摘花は、源氏が薄幸の美女を想像して言い寄った年齢不詳の女性。なんとか思いは遂げるのですが、彼女の鼻は長く赤かったというお話。それに対して「いと青やかなる葛の心地よげに這いかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉ひらけたる」は、源氏と夕顔の美しい出会いの場面
。19歳のヒロインの着衣は、柔らかな白と紫でした。紫式部は、色彩の描写
や、なにかを色彩で象徴する手法の巧みな人。色に敏感な人だったと思われます。
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古い咄し。黒く染めると布は弱くなるという説があります。なぜだろうと不思議に思っていた男、ある日、ほかの鳥と喧嘩していたカラスが負けたのを見て、う〜ん、やっぱり黒は弱い! 6代目円生が発掘した咄しのようですが、これ、寄席では、どのように、おもしろくなるのでしょうね。
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これは、どうでしょうか。道楽が過ぎて勘当された若旦那、吾妻橋から身を投げましたが、夜釣舟に助けられます。わけを聞かれて話すには、紅梅という女と親しくなり、真実の愛(藍)と思っておりましたが、金色の縁が切れると逃げてしまい、今(紺)度から気(黄)をつけようと思ったのでございますが…。それで、ご商売はと聞かれ、染物屋でございます。なるほど、色で苦労なさるか。上方系の咄し。東京では、円馬、円歌といった人たちがやったようです。
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