樹懶庵閑話 the Strong Cancer Survivor
 末期肺癌が2006年秋みつかる 「正月はない」はずだったのですが  2度の正月を過ごしました
                                                   

佐々木康哲


                        

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2008/07/11

 葬儀ご報告


 通夜、葬儀・告別式の両日ともに雨の天気となりましたが、式の最中は雨の上がることが多く、無事執り行われることとなりました。

 

 両日あわせて約300人の参列者となり、遠方よりかけつけられた方、特に災害被災地の住民・関係者の方々の参列も数多く見られました。

  


          ◇                         ◇


 ここで、故人との長年の友人であった詩人の金時鐘さんに頂いた弔辞について、以下に引用させていただきます。

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 あなたは私のもっとも気さくな日本の若い友人。
 その若い、まだ熟年のさ中にいたあなたへの弔辞を、よもや年老いた私が捧げるようになろうとは、まったくもって思いもよらない異様なことです。

 それも先々月の二十日すぎ、自ら車を運転して、妹さんの直子さんと生駒の私家までやってきてくれたばかりでした。
 玄米食で活力が甦っているとか、新車に乗り替わったこと等をとくとくと語るなど、生きることへの並々ならぬ意欲をにじませていました。

 今になって考えると、萎えがちな気力をしぼって最後のあいさつにきてくれたような気がして、胸がうずく。

 利益を得る、何事につけ得することが価値判断のすべてであるような世知辛い日本にあって、阪神・淡路大震災や東海豪雨水害、遠くはトルコの大地震に見るような被災地の救援活動に、それこそ献身的に尽くしてきた。
 他人の不幸を座視できない、芯から心根のやさしいあなたの早すぎる死を思うと、八十にもなる自分の人生が罪深いもののようにも思えてくる。

 日夜付き添っていた直子さん、さぞや気落ちしていることでしょう。
 一人息子の康哲までガンで奪われたお母さんの悲しみは、察して余りあります。

 命は神さまからの借り物。一日も早く、良い思い出となるよう祈るのみ。


 数年しか結婚生活を営めずに、先立っていった愛妻、橋本美千子さんとはもう連絡がついたころでしょうか。
 あなたの死にかぎって、病魔との格闘を終えられたあなたのあの世での安息を、信じるとします。

 あなたは惜しまれた人。惜しまれなければ、残る何物もこの世にはない。
 あなたと関わった被災地の多くの方々も、あなたの早すぎる死に両手を合わせて惜しんでいることでしょう。

 私もあなたにならって、他人の悲しみに敏感な人となるよう、残りの人生、努めて生きます。
 しっとり雨が降っています。
 ふかぶかとご冥福をを祈ります。

                            2008年6月22日  金 時 鐘

----- 引用 ここまで


          ◇                         ◇


 ひきつづき、多くの弔電を頂いたなかからの一部を引用させていただきます。

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 悲しいお知らせに呆然としております。
 お別れにも伺えず、残念でなりません。
 生前中のご厚誼に感謝し、また、心からご冥福をお祈りいたします。

  伊藤 信道 (アーユス東海・宝泉寺住職)

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 ご逝去の報に接し、悲しみにたえません。
 阪神淡路大震災を契機とする様々な活動に取り組まれた在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

  稲村 和美 (兵庫県会議員)

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 康哲君とのお別れ、お寂しいことと存じます。
 ご母堂様に先立つ康哲君の不幸、彼が被災地と被災者に残した足跡をもって、どうかお許しください。
 共に歩いた者としてお願い申し上げます。
 佐々木よ、お前の頑張りは被災者に大きな支えであった。
 俺も間もなく往くが、今しばしこの世で逆らってみることにする。
 康哲の安らかな眠りをひたすら祈念する。

  河村 宗治郎 (兵庫県被災者連絡会)

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 ご逝去の報に接し、幾多のご厚情を思い、誠に痛惜の念でいっぱいです。心からご冥福をお祈りいたします。
 西枇杷島の町が水に沈み皆が悲しみ、途方にくれていたときに、感謝しきれないほどのお力添えを頂きました。
 お別れに伺うことができず大変残念です。
 ご家族のご心痛をお察しいたしますが、どうぞ心を強くお持ちになってください。

  愛知県西枇杷島町  K.M

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 佐々木さんとは、十三年前の阪神大震災に遭遇して、はじめて出会いました。
 その後、震災被災者に公的援助をという憲政史上初の「市民=議員立法」運動をともに戦いました。
 様々な苦楽をともにした、市民の一人として故人のご冥福を心よりお祈り申しあげます。

  玄 順 恵

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 「・・・残念・・・」の一言です。
 阪神淡路大震災から数ヶ月後、震災体験を風化させず、そこで生まれた自発的な市民の活動を今後にどのように生かすのか?を話し合うフォーラムで、佐々木君と出会いました。
 その後、戦術の違いからともに活動することはありませんでしたが、思いは同じでした。
 13年経過した今でも時が止まってしまった方々は数多くいらっしゃいます。
 微力ではありますがシコシコやって行きます。
 佐々木君、お疲れさまでした、シッカリ見ていてくださいね!

  堀内 正美 (俳優・がんばろう神戸代表)

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 佐々木さん、また会える時を楽しみに思っていたのに、残念でなりません。
 あなたのやさしさ、勁(つよ)い魂、そしてニィッと笑うあの笑顔を何度も思い起こしながら、お見送りします。
 心よりご冥福をお祈りします。

  大分県中津市  M.A

------ 引用 ここまで

          ◇                         ◇


 以上、簡単ではありますが、報告とさせていただきます。

  ( 代理投稿 大和田信行 )


2008/07/11 11:35 カテゴリー: 大和田通信 | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (0)


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