冬の鳥取砂丘シリーズ No.1

浜坂方面からの入口

最初に自己紹介をしておきます。
とはいえ、インターネット上でのことなので、名前はToru Okajimaとだけで勘弁して下さい。
この拙な私めのページでは、鳥取砂丘をテーマとして取り上げているだけあって、多少なりとも鳥取砂丘については知っているつもりです。
生まれも育ちも一応は鳥取砂丘のある鳥取市で、子供の頃から身近に感じてきました。今でこそ遠く鳥取から離れて関東で生活しており、鳥取にて砂丘を間近に暮らしていらっしゃる方から較べれば、砂丘に対する感じ方や洞察も浅はかなものですが、どうか付きあってやって下さい。
また、鳥取砂丘には関係のないエピソードも多々含まれています。

このシリーズにて登場する私とは、Toru Okajimaのことで、シリーズに現れる過去のエピソードは多少の誇張なり脚色もありますが、ほぼ現実に起こったこと、現実を見つめたものについて述べています。また、シリーズ中に掲載されている砂丘の写真は私と親父が、平成10年の1月3日に撮影に行った折りのものを使っています。
最後に、私は叙述形態としてのいわゆる「ですます体」は多少とも苦手なので、少しばかり堅苦しくなりますが、「デアル体」にさせていただきます。



砂丘というのは塀とか柵でもって仕切られているわけではないので、どこからでも入ることができる。大きな砂浜の周りを松林で囲まれているだけのもので、ただ、全国的に珍しくもあることから国立公園となっている。
私は鳥取の生まれで砂丘を身近に育ったのでごく近くの風景にしか映らないが、しばらく都会で暮らしてみるにつれ、ここは大変な所なんだという認識に変わってきた。
色々ある鳥取砂丘の入口から、これは浜坂方面から行ったもの。手前に見える舗装されたアスファルトの道路はまっすぐ行くと国道9号線に突き当たる。
浜坂とは私の実家があることから、砂丘に歩いていくにはこの道を通ることが多いのである。



この写真からは判らないが、遠くに見える水平線のようなものは空で、海は写真中に見える柵の位置を左側にずっと目線を移したあたりから現れる。

また写真には写していないが、この看板のわずか20メートルほどの近くに与謝野晶子と有島武郎の詩が詠まれた石碑が立っている。与謝野晶子は申すまでもなく明治から昭和の初期にかけての俳人で、本当ならこのページにて石碑に刻まれた句を紹介したいのだが、書き写してくるのをうっかり忘れてしまった。

有島武郎は大正時代の小説家で、代表的な作品に「或る女」「カインの末裔」などがある。
高校受験の当時に国語の勉強で作者名と作品名をしこたま暗記させられた。したがって小説家としての名前は知っているものの、その作品を読んだかというと誠に不勉強な話、いまだに記憶がない。
今にして思えば、全くもって無意味なことをしたものだ。







有島武郎というと、昨年に流行った渡辺淳一氏の「失楽園」で凛子と不倫仲の男が寝物語で語るシーンがある。有島武郎が文壇の寵児として現れて名声の絶頂期の中で愛人と別荘で自殺する事件が、情事の前の会話の中で語られるのである。
あれは読んでいて本当に怖かった。
失楽園に登場する主人公2人は、この有島武郎の事実を現代において(現実から逃避した二人だけの陶酔の中で)再現というか模倣してしまう。
変な話、妙なところでこの小説家有島武郎に興味を持ってしまった。
今度じっくり読んで吟味したいものである。

いけない、鳥取砂丘とは話題が大きくそれてしまいました。

1998/1/12 Toru Okajima




武郎晶子佗涙の地としてある

 晶子の句  武郎の句


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