冬の鳥取砂丘シリーズ No.16

怖いもの(再び)

前回に引き続き、怖いものについて述べてみたい。
#14大地の歌の写真を見ていただきたい。
砂丘の丘の上に小さな影が二つ。
勿論あれは人影で別段どういった景色でもないのだが、ああいった情景が私にとっては怖い光景なのである。
ああいった光景が。
夜、夢でうなされる。
背中にじっとりと汗。重く暑苦しい布団。金縛りにあったような心持ち。
夢に見る光景でこういったものは、私にとって悪夢のトップ3に入るものである。




具体的に描写してみよう。
荒涼とした砂漠に一人佇んでいる。辺りは人一人いない。
といっても、私は実際の砂漠に自分の足で立ったことがないので、私にとっては砂丘の情景である。
雲一つない炎天下といいたいところだが、山陰の物憂げな天気の下である。
なぜかそこは、音さえも無音といった世界なのである。あたりは心理的に重苦しい。

普通の人に広々とした所と狭苦しい所とどちらが精神的に嫌なものか訊いてみると、おそらく狭苦しい方と答えることだろう。
私も実際には狭苦しいところは嫌なほうである。とはいえ子供の頃、遊園地の片隅にたくさん放置されてあった営業用冷蔵庫に友人と入って遊んだことがあり、それを知った親父からさんざん叱られた経験がある。
また、映画「大脱走」で敵収容所から脱走するメンバーの一人でトンネル掘りの達人だったチャールズ・ブロンソンが恐怖に涙を見せるシーンがあったと思うが、狭い所というのはことさらに恐怖を誘うものなのである。

ところが私の場合、狭苦しいところも嫌だが、ただっ広いところもダメなのである。
ただっ広い砂漠の中、ずっと遠くに点が一つ、何だろう?望遠鏡で見る。
そちらの方へどんどんとズームアップしていく。
見れば点に見えたのは人間で、向こうもこちらを見ている。
それも直立不動で両目をぎらぎらとぎらつかせてこちらを睨んでいる。
私の視点はいつしか望遠鏡の目から離れ、何故かしら見ず知らずの彼を上空から見下ろすような格好になっている。あらゆる角度からである。
そう、MTVなんかのビデオクリップによく使われるビデオアングルである。
あそこではラジコンのヘリコプターなんかに小型カメラを装着してラジコン上から被写体をとらえるが、私の目もいつしかそうなっている。
そしてしばらくの後、いつしか私の目は元いた場所に舞い戻り、またもや望遠鏡で先ほどの彼を覗き見る。
彼は相も変らず直立不動のまま、こちらをにらみ据えている。
大きな目でぎらぎらと。
視線を他に移し、再び視線を元に返してみると、またもギラギラとこちらを睨み据えている。何度やっても一緒。
こうなるとダメである。ここで悪夢でうなされ、さんざん寝返りを打ったあげくに目が覚めることになる。

いったい、こういった情景のどこに恐怖が隠されているのだろう。
自分で言うのもなんだが、不思議なものである。
どうも考えてみるに、私は自分自身をじっと観察されるのが嫌なのであろう。
さっきも言ったように、ただっ広いところも嫌である。
また、人の視線が苦手なのである。
私は監視されるのが嫌なのである。
そして、凝視されるのはもっと嫌なのである。ただっ広い所では隠れるところも有りはしない。

私自身のことを長々と書いても、これをお読みの読者にとってはどうでもいいことかも知れない。
おそらく、そうだろう。
そんな訳で、砂丘からはどんどん懸け離れていく。




私は物心ついてから幼稚園の年長組、小学校、中学校、高校一年まで、市内の市営アパートに住んでいた。
今から思えば、随分と狭苦しい環境だったことである。
二階建ての鉄筋コンクリートのそれは、ベージュ色の塗装がはげ落ちあまり高級なイメージを沸かせるものではなかった。そのアパートには一棟に6所帯が暮らす。
6畳と4畳半に3畳ほどのキッチンとトイレ。
ご飯を皆で食べているそこから、3メートルと離れていない所にトイレのドア。
和式の水洗トイレである。
そして1メートルほどの幅もない玄関とコンクリートの階段と、それに続くくつ脱ぎ。


お風呂は無く、銭湯通いか、ビニール風呂敷の上に大きな金盥を置いての部屋の中での行水となる。
ドリフターズのコントなんかでよく使われていたあの大きな金盥。最近は見かけなくなったなぁ。
部屋の中の行水といってもあまり勝手が効かないから、夜遅くなってから玄関のドアを半開きにして金盥を置くスペースを作り、それにお湯を浸し、人目をしのぎながら浸かって汗を流す。
お湯は交替の度に玄関からそのまま外に流す。
玄関が我が家の風呂スペース。
まさに生活をするのには、必要最小限といったところなのだが、そんな中に箪笥2つに洋服ダンス、水屋に折畳みのお膳に、冷蔵庫、子供机2つにたくさんの本や百科事典のつまった書棚、妹のオルガン、ぬいぐるみ、ラジカセ、それに仏壇、黒電話もあった。洗濯機は脱水を2つのローラーに挟んでするものである。
天上を見渡せば、私の作った飛行機のプラモデルが所狭しと吊ってある、時々部品が降ってくる、そんな家庭だった。
そして、そんな所に祖母も含めて一家5人が暮らしていた。
いや正確には、そこに数羽の十姉妹も一緒に加わって暮らしていた。
小鳥カゴ2つに暮らす、元気いっぱいな小鳥さん達である。
友達の家に行ったりすると、我が家の全てを加えたよりも大きな部屋をあてがってもらっていたりするのを見て羨ましかったりしたものだ。
そして、学校の先生が我が家に家庭訪問なんていうことになると、なんだか嫌だったなぁという思い出がある。

私が次に恐ろしい夢として見るのが、実はこの安アパートでの情景である。
小さな部屋にぎっしりとひしめき合った家具に小物。あまり綺麗とは言えない天井や壁。
ゴキブリや蚊の何と多いこと。
夜、布団を敷きつめれば、足の踏み場もないスペース。
自分の空間なんか無いに等しいスペース。テレビの音。
始終聞こえる近所やら隣やらの喧騒。子供の泣き声にそれをあやす声。
狭い空き地からは三角ベースのアウトだのセーフだのといった声。
おばさん連中で繰り広げられる井戸端会議。
井戸端会議の傍からは、たき火の容赦のない煙。
我が家の窓の桟には蓑虫がくっつき、外を見下ろせば母上の家庭菜園に青大将がぽってり昼寝をしている。
それを母上が放水のホースをもち、遠巻きにして見ている。
私の母上にとっては蛇が一番の天敵なのである。
ビワやイチジクの梢には、雀がこちらもピーチク井戸端会議。

今から思い返すとそれらがとても懐かしい反面、なんだか恐ろしいセピア色の夢となって甦ってくる。
なぜ?

玄関のドアを開けて一歩踏み出すと、向かいの棟の窓から一斉におばさんやら、おじさんやらがこちらを見下ろしている。窓の手摺にもたれたりして、腕組みなんかしたりしてじ〜っと。
こうなるとたまったものではない。
こんな夢を見るとうなされること請け合いだ。
先にも述べたが、私はこういったものが苦手なのである。
別段、あの当時は周りの近所の人たちが冷たかったとかいった悪感情は一切なかった。むしろ気さくな人たちだったし、私自身も気さくに接していた。
皆さんお世話になったりした方達ばかりなのである。




私の恐怖の感情の元になっているものは何なのだろう?
人の視線が苦手なだけなのか?
ひょっとして人間嫌いか?いやいや、そんなことはない。
貧困に対しての潜在的な悪感情があるのかというと、私は貧乏にはむしろ肯定的な方でもあるし。
羨むことはあっても、あの当時、裕福な友達に卑屈に感じたりしたことは一度もなかった。
それに、私と同じようなアパートに家を持つ友人もたくさんいた。
あれが当たり前だと思っていたのである。

しかしそうは言っても、そんなところに表面上には分かりえない共同生活の歪みというものが存在してたりして。
ああ、そんなことは考えたくない。
私の子供の頃の生活環境に無いものが、何らかの形を変えて根強く残っていたりして。
それはないか・・・。
しかし私事ながら、
昨年神戸で起こった中学生による小学生殺傷事件などを考えてみるに、何かしら分析したり研究したりする要素を含んでいるようにも思える。
また、心理学的にも何らかのパターンとして説明できるものではなかろうかとも思う。

1998/8/1 Toru Okajima

 

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