冬の鳥取砂丘シリーズ No.3

護国神社

正月の3日に我が親父と鳥取砂丘にカメラ片手に散歩に出たわけだが、その途中に意外な場所を発見した。それがこの護国神社である。(尤も、親父はあることは知っていたらしい)
先に紹介した1の写真で見える道をまっすぐに直進して国道9号線に突き当たる途中に、右側に上っていく道があり、ちょっと分かりにくいところにこの護国神社はあった。
一緒に行った親父は今年65歳になる。
上の兄二人を戦争で失い、少年時代を戦時中の混乱期に過ごした、いわゆる昭和一桁世代である。戦争に対しての思いは、私のように戦後の平和を享受している世界に育った人間より格段に強い。
これが私一人で行っていたのなら、ここに立ち寄ったかどうかは分からない。




親父は戦時中は小学生であり徴兵には年齢的にも及ばず、せいぜい工場への学徒動員程度で済み、当然として兵士としての出征は免れ、従って戦死は免れた。
私が今日存在するのも親父が生きていてこそである。

私にとって戦争とは過去の歴史のそれであり、教科書の一ページにしか過ぎないが、親父の持っているそれは今も生き続けている戦争であり、その中には戦死した兄弟や知人に対しての申し訳ないというか、戦没者に対しての敬虔な気持ちが存在している。親父と酒を飲んでいて時たまそんな話題に話が移ると、親父の気持ちの奥にあるどうしようもない悔悟の気持ちが感じられ、うまく言い表せない気持ちになる。それは、年齢が及ばなかったためお国のために尽くせなかったといった感情であったり、遠く自己犠牲精神の変わり身であったりする。

護国神社は戦没者を祀ったものであり、一般の神社とは意が異なる。
戦没者と一口に言っても、戦争に出征して戦士として亡くなった方々が多く祀られている。
私は過去の戦争というもの、日本の行った過去の愚行というものを擁護する気持ちは毛頭無いが、出征された兵士やその家族の方の当時の心情、また、その時代に生まれた精神美とか道徳観念といったものは尊敬してしかるべきものであり、この歴史は歪曲される事なしに永く後世に伝えるべきものだと思っている。




護国神社には国会議員の靖国神社参拝の是々非々にみられる問題のような、ドロドロとしたものがあり、正月に初詣でといった類いの神社ではないことは解っている。街で見かける右翼団体の街宣演説のようなマイナスイメージが、なんとなくこういった戦争関連の事物に対して、目を、耳を、足を遠ざけさせる。
したがって正月の3日だというのに参拝客もいなく(僅か一組見られたか)、冬の冷たいがピンと張りつめた空気の中で、全ての風景が調和を保って佇んでいた。
また、境内の中には色々な石碑が立ち、重機関銃や飯ごうや鉄兜、編上靴にいたるものが僅かながら展示してあった。
誠に爽やかだけど静かな風景だった。聞こえてくるのは鵯かカラスの声といったところか。

これが明治神宮や八幡宮、川崎大師なんかだと一年に一度のにわか神道信者が大勢つめかけ、人いきれと喚声の中で賽銭をふるっている事だろう。

写真右に見える石柱は、昭和の初年にある軍人(名前はひかえていません)の方が寄贈されたもので、同じく護国神社にあったもの。
その当時での戦没者とは主に日清戦争と日露戦争の出征兵士だった。

1998/1/19 Toru Okajima

 

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