冬の鳥取砂丘シリーズ No.22

ロックは歌う

今、ロックミュージックのCDを聴いている。
ブルース・スプリングスティーン&Eストリートバンド(Bruce Springsteen & E Street Band)のライブ盤だ。
ジャケットを見たら1975〜1985のライブ収録盤となっている。早いもので演奏日時から13年も経過しているではないか。
確か、このCDが出たのは1987年の頭で、私はこのアルバムが出てすぐに渋谷のディスクユニオンに走ったのを覚えている。だから、かなり思い入れの多いアルバムだ。「Born to run」なんか今でも大好きな曲だ。
ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)こそロックの申し子だと思う。
少なくとも80年代前半までは・・・。

Bruce Springsteen & The E Street Band Jackson Browne
最初のうちはボブ・ディランの亜流といった形で売り出され、最初の方はフォーク歌手のような趣があったが、70年代後半頃は誰もまねのできないワイルドな音楽性を確立してしまった。スプリングスティーンに限っては、彼独自のキャラクターがどの曲ひとつをとってみても色濃く表れていて、まったく彼以外の何者でもないロックを聴かせてくれる。
彼はロックの演奏者、シンガーであることとしてまず一流だが、それにも増してソングライターとして一流である。
私は名こそ売れ、演奏もそこそこのものを聴かせるが、作曲がイマイチなバンドなりグループを知っている。
ロックミュージックとしての重要な要素である躍動感なり心動かされるものが無いのだ。
また、書かれている曲なり歌われている内容のルーツをたどっていくと、全くオリジナリティに欠けていたりするバンドも知っている。いわゆるもの真似だ。
スプリングスティーンは、私は、彼こそがロックミュージックのボスだと思っている。
また、実際にも彼のキャラクターはボスとして崇拝してもおかしくないものを持っている。
尤も、今の時代ともなると別にとって替わる人が出てきているかも知れない。しかし、80年代前半までは、彼こそがトップだ。(私の独断と偏見です)
ライブのCDを聞き返してみるに、その思いを強くしている。
私がロック・ミュージックというか西欧ポップスを知ったのはいつ頃のことだろう。
おそらく思い返すに、一番古いものはカーペンターズ(Carpenters)だろう。小学校高学年の頃である。
TheCarpenters
名前は知らずとも心地よいメロディとハーモニーで魅了され、中学生になってからラジカセに録音しまくったのを覚えている。LPも買ってもらったこともある。
あと、この前亡くなったジョン・デンバー、ビューティフルサンデー(?)でヒットしたダニエル・ブーン、何だか一時期パーっとヒットしたミッシェル・ポルナレフ、レイフ・ギャレット、BCR(Bay City Rollers)、ロゼッタ・ストーン、バスター等、それにエリック・カルメン、エルトン・ジョン今思うに実にミーハーなものである。
BayCityRollers
おそらく今並んだ名前を見て、ご存知の方はこれが70年代の中頃であることがお分かりかと思う。
その頃の私にとって、ポップスとは耳に心地よければ良かったのである。
ではロック音楽として、楽器の演奏を聴き始めたものは何が最初だったろう?




断わっておくが、私はロックについてそれ程詳しいわけでもないし、また、仲間と一緒にバンド演奏に興じた経験もない。
ロックについては、全く素人的にラジカセのエアチェックから入っていったものである。前述の甘ったるいポップス系のものと前後して聴き始めたものとして、やはりビートルズが最初だった。

TheBeatlesTheRollingStones
あまりにも有名なので、耳に心地よいもの、恰好良いものはラジカセでFM放送からエアチェックなのである。
ビートルズに関しては、私の好きなアルバムが真っ白なジャケットで賛否両論の有名なあのホワイトアルバム(Love Songs)であることからしても、多分に私の嗜好が判ろうというものである。
ビートルズは偉大だった。私はこれにケチをつけるつもりは全くない。ロック音楽の創始期として果たした役割は、非常に大きいものがある。

私がロックを聴き始めたのは、ロックのいわゆる旬の時期は大きく通り過ぎた後で、ロックは現在進行形でありながら、過去の音楽だった。というより、今流行っているものよりもずっといいものがちょっと昔にあったんだという思いである。70年代後半は軽薄なポップスじみたグループが流行り、ギターにしてもベースにしてもドラムにしても、光り輝いていた演奏は60年代や70年代前半なのである。
ロックに詳しい諸兄も、これに異論はなかろうと思う。
したがって、いきおい昔のグループ、昔のLPばかり聴くようになる。

聴いたグループは当時の新曲としてはウイングス、クイーン、キッス、イーグルス、シカゴ、ドゥービー・ブラザース、チープ・トリック、ELO、Jガイルズバンド(J Geils Band)等である。そうそう、プログレ系のイエス、ピンク・フロイド、クリムゾン、ロクシー・ミュージック、ジェネシス等も聴いたなあ。尤も、これらはとっくの昔に出たアルバムである。
KING CRIMSON PINK FLOYD yes
あとはその他大勢、色々なグループを聴いた記憶はあるのだが、今となってみてはいちいち思い出せない。

ティーンエイジャー後半に入ってくると、ロック音楽そのものに変なインテリジェンスを求めるようになり、嗜好が変わってきた記憶がある。
おそらく、その時点においてバンド演奏を行っていたりしてギターを担当していたりすると、クラプトンとかジェフ・ベック、ジミー・ページあたりに興味の対象が移り変わって行くものだろうが、私の場合そこのところが変わっていて、妙に理屈っぽく聴いていた。
演奏はどうでもいいのである。いや、そう言っては語弊があるが、どんなに才能溢れた演奏であっても書かれた曲がパっとしないとイマイチなのである。
そう思って聴いていた。
TheEagles Queen Fleetwood Mac PaulMcCartney&Wings TheDoobieBrothers
長ったらしいソロ演奏とか即興演奏はそれが必然性があるものならともかくも、バンド演奏の経験が無い私としてはそういった部分に興味はなく、実にどうでもよかったのである。
あまり有名なミュージシャンであってもダメなのである。そんなミュージシャンは私でなくてもいくらでも贔屓の人は周りにいたのだから。
私の趣味性は、おそらくローリングストーン誌の編纂したレコードガイドの影響を受けたのだろう。
あそこでは有名なグループの世評高いアルバムでも五つ星評価のうち一つしか星がつかなかったりと、曲のオリジナリティといった観点で批評がとても辛いことで有名である。

OliviaNewton-John DonnaSummer





インテリジェンスという意味で言えば(表現が妥当でない気もするが)初期のデヴィッド・ボウイ、いわゆる70年代のデヴィッド・ボウイ(David Bowie)である。(結構有名じゃないですか)
あれは凄かった。と思う。
彼はシンガーとしてよりも、インパクトメーカーとしての演劇的、演出家的な肌合いを強く持っている人である。
「アラディン・セイン(Aladdin Sane)」なんて今聴いても鳥肌が立つ。
DavidBowie The Mothers of Invention
そう言えばTレックスなんてグループもあったな。マーク・ボランなんて人がいたグループである。
あの頃のグラムロックは、今からは想像もつかないほどの輝きとエネルギーを持っていた。
あれから較べれば、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)もディープ・パープル(Deep Purple)も霞んでしまうし、プログレッシブロック連中も敵わない。
それぐらいの一大ムーブメントだったと思う。
Led Zeppelin The Velvet Underground
(とは言ってみても、ハードロックを推す人もソウルミュージックを推す人も、パンクを推す人もプログレッシブロックを推す人もいらっしゃることでしょうが・・・)

DavidByrne NeilYoung
70年代終り頃から登場したニューウェーブも凄かった。
あの頃は猫も杓子もニューウェーブ。いったいどういった定義がなされていたのだろう。
デヴィッド・バーン(David Byrne)率いるトーキング・ヘッズ(Talking Heads)とかロキシー・ミュージックから独立したブライアン・イーノ(Brian Eno)もそうである。
RoxyMusic Supertramp
アイルランドのU2なんかも、最初このカテゴリーに分類されていたのではなかったっけ?

また、いつからだったか忘れたが、テクノポップと言ってピコピコサウンドが登場してきた頃も凄かった。コンピュータやシンセサイザを多用した音楽であり、あの当時の世相にも影響を及ぼした。テクノポップって言ったのでしたっけ?
テクノで世相に影響を及ぼしたと言えば、日本でのYMO(Yellow Magic Orchestra)なんていうグループもあったなぁ。あのグループ、妙に東洋情緒的なその着目自体はいいのだが、一般に流行った曲はみんな妙にオッサン臭く感じられて、私はあまり好きでなかった。これはメンバーのキャラクタにもよるのだろう。
その東洋的な(琉球的な)異国情緒を感じさせるところは海外的な成功を生むにはうまい狙いだったと思うが、海外でよりも日本で爆発的にヒットした。79年〜82年の頃である。
シンセサイザの生む電子音と、その音楽のスタイルに知性のようなものを感じたのである。しかし、その知性的に感じさせる雰囲気や、その思わせぶりなマスコミをあげての演出や、そこかしこに散見されるつまらないジョークにはついていけないものがあった。
今思うと昔の新聞の社会面を眺めるような懐かしい反面、少し恥ずかしくもなる。あれは、そんなフィーバーぶりだった。(この表現も懐かしいゾ)
最後の方に発表されたテクノデリックというアルバムは凄いと思った。
Yellow Magic Orchestra

テクノと言えば、古いものでドイツのクラフトワーク(Kraftwerk)なんてあったが、これにも熱狂したものである。アウトバーンなんて曲があったな。アウトバーンを車で疾走しているとかくありなんという、とても眠くなる曲である。
81年にコンピュータを題材に捉えたアルバム”ComputerWorld”なんてのがあったが、今日の家庭にまで入り込んだコンピュータの姿形を見るにつけ、さすがに今昔の感を強くする。
あそこで出てくるコンピュータは洋服箪笥程もあるもので、電光盤がずらり並び、入出力には紙テープが使われていたり、せいぜいキャラクタベースのコンソールディスプレイがあった過去のものだ。
私は以前、電算機のオペレータの仕事をやっていたことがあり、一度だけ電算室全ての照明を落として緑にちらつくコンソールディスプレイを眺めながら、ギクシャク回る磁気テープリールを眺めながら、ヘッドホンステレオでこのアルバムを楽しんだ記憶がある。
まさに無機的なコンピュータを表現した画期的なアルバムのように聞こえた。少なくともあの当時は。

彼らに、今のようなパソコンやらウインドウズのようなものを想像するのを要求するのは酷なことなのだが、この場合、テクノロジーの発展がアルバムの価値を博物資料的なものにまでしてしまっている。
別にこの”ComputerWorld”に限らず、他のアルバムもそうである。ロボットがギクシャクして動いたりする想像世界や、原子炉にまつわるテーマが物珍しかった時代は遠く過ぎ去ってしまったのである。
今現在コンピュータを題材に捉えたとして、どんな音楽を創ることが可能なのだろう。
まさか、昔のように判で押した如くのピコピコサウンドでは恰好がつくまい。コンピュータそのものがSFの主役を務められ、珍しがられた時代は過去のことなのだ。
今ではコンピュータからピコピコサウンドは鳴らず、ディスプレイの中から三次元世界の人間が自然な声で応えてくるような時代なのである。
テクノポップは今、いったいどうなっているのだろう?
腕に腕章をして無表情にキーボードをロボットのように操る、内に秘めた静かなる熱狂。
KRAFTWERK

テクノポップは今?って言っておきながら、つい先頃出たアルバムを偶然見つけて買ってしまいました。ツール・ド・フランス!17年振りだそうです。大人ですねぇ。今のこのパソコンに囲まれた様な世界でも十分に通用するから凄いと思う。いったいどんなコンピュータでコンポーズされたのだろう? アルバムが出たのを見るとつい買ってしまうっていうのも、ファンなのだからか?(2003/09/29)

※YMOが某テレビCFに出ているが、もう昔の思い出話でもないよね。今となっては。流れているライディーンという曲もそんな感じ。(2007/3/10)

 




インテリジェンスという面では、ザ・フー(The Who)のギタリストとソングライターであるピート・タウンシェンド(Pete Townshend)が作詞と作曲のセンスといい、ギターのコードの乗せ方といい、楽曲のコード進行といい、ステージアクションといい、インタビュー記事等の言動といい、彼の著した著作物といい、私の好みだ。(それにしても古いですね)
PeteTownshend
尤も、インテリジェンスと言う意味では少し場違いかも知れない。
(そもそも、さっきから言っているインテリジェンスってのは何だという疑問もあるが?)
彼から影響を受けた後続のロックミュージシャンは意外と多い。
それもギターの奏法というより(フィードバック奏法は別にして)作曲面であったり、バンドスタイルであったり、ステージアクションであったりするのは興味深いところだ。
TheWho

私はタウンシェンドと言えば、ロック演奏そのものよりも、ステージでギターを叩き壊わしたり、アンプから煙がもうもうと上がっているのに素知らぬ顔でプレイしているのを見てぶっ飛んだくちだ。

あれは60年代のステージをMTVか何かで特集しているのを見たのだが、同じようにELPのキース・エマーソン(Keith Emerson)がオルガンを壊しているのを見た記憶があるので、そういった(楽器を壊したりする?)特集だったのだろうか。そういえばジミ・ヘンドリックスがギターに火を付けるのも見たな。

タウンシェンドと言えば、腕を大きく振り回したりする独特の風車奏法や、ギターを頭上に掲げたりギターを弾きながらステージ上で大きくジャンプしたりするのも見た。また、演奏が熱してくるとギターアンプのスピーカにギターネックをぶち込むのも見た。猛然と立ち上る煙。
それを見ていたボーカルのロジャー・ダルトリー(RogerDaltrey)はマイクをコードごと振り回して投げつけ、ドラマーのキース・ムーン(KeithMoon)はバスドラムを蹴破り、ドラムセットをバラバラに壊してしまう。
こうなったら、もう無茶苦茶である。
今では似たようなパフォーマンスを行っているバンドもあるみたいだが、彼らからみて親父ぐらい(もっと言えば祖父?それはないか)にあたる人がそれを行っていた昔の頃では斬新だったのである。
今ビデオで見ても恰好いい。


JimiHendrix & Experience Emerson Lake & Palmer KeithMoon

ギター少年の目から見れば、ギターと言えばジミヘン(Jimi Hendrix)は別格としても、例の3大ギタリストということになるのだろうが、私は少なくともジェフ・ベックやジミー・ページよりも上位に位置するほどの重要人物だと思っている。(これには異論のある方が大勢いらしゃっることでしょう※1)

DuaneAllman KeithRichards EricClapton JeffBeck JimmyPage CarlosSantana RobertFripp FrankZappa
それはステージで破壊パフォーマンスを見せつけるといったことではなく、ロック界における真摯なギタリストとしての貢献度といった中でも作曲といったことの先駆的な内容や、レコードに残した先駆的な実験、初期のロック演奏におけるステージパフォーマンスの変革でかなりの重要人物という意味でである。
リズム&ブルースからブリティッシュロックの創始に貢献した数多いロッカーの中でも、まず指を折るべき人なのである。
したがって、彼が在籍していたThe Whoは全てのどんなグループよりも好きだし、歴史も古くロック音楽が一番輝いていた時期に一番活躍していたバンドである。そこではロックのシンプルで本当に美しい曲や、本当にワイルドな曲、本当に格好いい曲が凝縮されていると思う。
彼らのアルバム"TOMMY"なんか今、冒頭を数秒間ほど聞き返しただけで震えが来るほど最高に好きだ。※2

※1
これは世評一般の人気の面から見たら私の意見は意外なものかもしれない。
尤も、タウンシェンド(TheWho)の人気と言えば、本国のイギリスでは今でも絶大なものがある。これは日本にいては到底分からないものかもしれないらしい。
ただ彼の場合、一片のギタリスト(ただならぬ腕を持つ)ではあるものの、ギターそのものを音楽表現の一媒体としか捉えず、ギター演奏そのものの名技性やそのステータスといったものに長々と固執するところがなかったと思う。ソロ作品では、ボーカルでも並々ならぬものも残してもいるし。
そこのところが、彼をギターの達人としにくいところなのかもしれない。
そういった事を考え合わせてみると、彼はいわゆる作曲の人なのだ。作曲においてはロック界広しと言えども、彼に比肩しうる音楽性のある人物はそう多くはいないのではないか、とまで思う。
後世にこの時代のロック音楽の評論が行われるとして、間違いなく評価される人だと思う。

※2
最近Rockを聴く機会がめっきり減ってきているせいもあって、Rockを聴く場合、何となく構えてしまうことが多い。
夜の夜中にバーボンを舐めなめながらとか、スコッチウイスキーをやりながらといった具合だ。(つまみはチーズが多い)
そこで、ウイスキー(上等は飲まないが)をやりながらの場合、やはり"Who's Next"が私的にはよく合う事が多い。彼らの作り出す音楽は総じて上等のスコッチまたはアイリッシュ・ウイスキーによく合うのだが(異論がありそう)、評判の高いこのアルバムを鑑賞するには、突き抜ける感じのするアイリッシュ・ウイスキーによく合うと思う。ボーカルのロジャー・ダルトリーは最高だし、ベースのジョン・エントウイッスル(John Entwistle)のベースラインも相変わらず工夫が凝らされていて、タウンシェンドに引けを取らないと思う。

※3
先日ライブアットリーズのデラックスエディションのCDを購入して聴いたのですが、前回のノーマルに発売されたLPからのCD版から17年ぶりに購入。まさにロック界の金字塔の再盤。TOMMYのライブ演奏が大幅に追加されたもの。TOMMYからのの収録曲は私はあまり評価しないが。芋焼酎のロックをやりながら堪能。今後、こういったバンドが出てくるのだろうか? 久しぶりにTheWhoへの傾倒の思いを強くしたものである。(2005/03)

John Entwistle





Genesis
元ジェネシス(Genesis)のボーカリストであるピーター・ゲイブリエル(Peter Gabriel)は、プログレグループ多しと言えどボーカルでプログレやってた人はおそらく彼ぐらいなもので、センスの良さでも際立っている。これはジェネシス時代からそうである。
ジェネシスの極く初期のアルバム(メンバーの移り変わりの多い初期から1970年代初頭の頃)は全て必聴盤だ。
あの当時のゲイブリエルの寓話的怪奇趣味(特に深層心理に潜むような恐怖)とバンド全体が醸し出す悪魔的とも言える美的空間は、今となっては求めるにも求めようがないものとも言える。
あの頃はグループのまとまりがいい事に加えて、なぜだか信じられないような発露に基づく詩と曲を書いて、これまた信じられないようなアレンジで演奏しているし、ステージの演出も奇抜だ。
ゲイブリエルのみならず、鍵盤楽器のバンクス(Anthony Banks)にしろ、ギターとベースのラザフォード(Michael Rutherford)にしろ、ドラムのフィル・コリンズ(Phil Collins)にしろ、それぞれが咸興に溢れた演奏を繰り広げている。


PeterGabriel OVO
ここはゲイブリエルに話を戻そう。 彼のボーカルはおそらく、今でも取って代わる者がいないほど発声からしてオリジナリティに溢れているし、ボーカルの真実味とカリスマ性において群を抜いている。
(ステージパフォーマンスで言っているのではありません)
あのボーカルを好きか嫌いかは別にして、ボーカルでは最重要人物だ。
それと音楽から離れたところでも、私は色々な意味において彼には啓発されることが多い。色々な面で私にとっては見習いたい人なのである。


80年に出た彼の3rdアルバムを2枚持っているが、あのLPに最初に針を降ろした時の震えというのを今でも忘れられない。
尤も、ジェネシスの頃から較べたら全くもってストレートな音楽で、ゲイブリエルが30歳ぐらいの時に発表したアルバムで、南アフリカのアパルトヘイト問題をテーマに捉えた凄いアルバムだ。
音楽の造りそのものの着目がそれまで聴いていたどのロック&ポップスとも違うことで、私は随分とショックを受けたり考えさせられたりもしたものだ。
それにこのアルバム、強力なバックバンドの演奏も生半可な他のバンドの及びもつかないところにある。
また、アルバムジャケットがピーターの顔が半分崩れ落ちていく恐ろしいもので、あれはなかなかインパクトがあって好きだった。
今から思うと多少の古さを感じさせるが、あんな表現の彫りの深い作品は、私の知る限りは後にも先にもないと思う。

ちなみに彼が昔在籍していたジェネシスというグループ、一時期までギターを担当していたスティーヴ・ハケット(Steve Hackett)もクラシック音楽畑でステージこそ違うが、珠玉のような感動的な作品を発表している。
ハケットと言えば、ジェネシス初期における美感の一翼を担っていた人だ。
そこでは、彼の才能は歳を積んだ今でこそクラシックの世界で花開いたというのか、彼の考えていたギターが本来どういったものを目指していたものであったのかが納得される。
あのバンド、思い返せば恐るべき才人達を輩出しているように思える。
SteveHackett

Procol Harum 10cc TheMoodyBlues





古い話ばかりで恐縮だが、もう少し古い話を。
BillyJoel TheBeeGees
話は80年代初頭の話になる。
あの当時は60年代から70年代と引継いできたロックやポップス音楽に対してもう一度、何ができるか、その可能性を模索していたような感じがする。
ThePolice Foreigner
ポップス系のロックという意味では、テュラン・テュラン(Duran Duran)やカルチャークラブ(Culture Club)のようなグループが台頭してきた頃である。また、逆に古いスタイルのグループがふるいにかけられたような時期でもある。今思い返せばみんな、ぱっと咲いてぱっと散ったような気がしないでもないが。
マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)がスリラーというアルバムを出す少し前で、この後にプリンス(Prince)が台頭してくるよりもずっと前の頃である。
Michael Jackson
そう言えば、メン・アット・ワーク(Men At Work)なんてグループもあったな。ABCにスパンダー・バレー、ハワード・ジョーンズ。今思い返してみてもあの頃の雰囲気はスリリングだ。

私があの当時一番好きだったグループは、何を隠そうデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ(Dexys Midnight Runners)だ。82年にイギリスでヒットしたアルバム"Too-Rye-Ay"は日本でも翌年に紹介された。
"Come on Eileen"はその中でもヒットした。

Kevin Rowland & Dexys Midnight Runners
小林克也さんがDJをつとめるベストヒットUSAという番組をテレビでやっていた時期で、今思い出しても懐かしく感じる。この番組、途中に挟まれるブリジストンのCMも素敵だったので、そのCMとワンセットで憶えている。

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズというのは、ケビン・ローランド(Kevin Rowland)というアイリッシュ系のイギリス人がボーカルをやっているグループで、この人は素晴らしいの一言だ。(ちなみに今何やっているんだろう?)
ローランドのボーカルスタイルはハイトーンのソウルフルなもので、エネルギッシュなカリスマ性も凄い。
また、このローランド自身が集めて編成したというグループも、普通のバンド編成に加えピアノやオルガンから、バンジョーやらフィドラーからサックスにトランペットまでもが音楽性豊かな演奏でバックアップし、驚くほどテンションが高い。
と言うか、訴える力が強い。
グループのメンバーは、なんでもローランドの自我と完璧性に耐えていけるだけの忍耐人と、ローランドの御眼鏡にかなう程の実力人を集めたのだそうだ。その意味で、デキシーズそのものはローランドのグループとも言える。

ロック音楽は電気楽器を多用することもあり、アンプのボリュームを上げればテンションが高くなるかと言えばそうでもないし、曲のテンポが早ければ、その中に疾走感があればテンションが高くなるかというとそうでもない。つまらない曲や興の乗っていない演奏は、何度聴いてもつまらないものなのだ。
(これは、ロックより最近のクラシック音楽の演奏に当てはまる場合が特に多いのだが・・・)

私は前述のテレビ番組でデキシーズのビデオクリップを見たのだが、グループの演奏スタイルも、フィドラーやバンジョーを含めたメンバー全員が何かに取りつかれたかのように演奏を繰り広げ、歌っているローランドも何かに取りつかれたかのように見えた。
この事ひとつが説明にあたる訳でもないのだが、先に挙げたローランドが集めたという人選話にしろ、ローランドという人が(ロックミージックシーンに有りがちな退廃的な似非美学の思想を持った人ではない事も含め)音楽に対してどういった点を真摯に重視していたかがよく分かる。

あの頃はロックのビデオクリップがとても流行った頃で、ヒットチャートに顔を出すようなどんなグループも何かしら奇をてらったビデオ作品を作っていたものである。
そして、それがとても新鮮に感じていたし、プロモーションフィルムを通り越して単独でも値打ちの有るものが作られ始めた時期でもあった。
しかし、中にはロック演奏から離れたというか、イメージ先行したつまらないものも多くあった。
また、じっくりと時間をかけてイメージを作り上げたビデオクリップも多くあったが、本当にそれに値するだけの曲であったり、そういった音楽性を持ったグループなのかというと、首をひねるようなものも多かったように思える。

しかしそんな中にあってデキシーズの場合、ただ単に街路を大勢で走り回るシーンと、狂気のように演奏をしているシーンを織り交ぜたものだった。今思い返してみるに訳の分からないものである。
しかし、ロック音楽そのものの即興性とか一過性いった点を考えてみるに、またデキシーズの音楽的特徴を考えてみるに、あそこでのビデオプロデユーサーの選択は正しいものだったと思う。
それとも芸がないなぁと見るか。
でも、みんなこてこてに作り込めたようなビデオクリップの中にあって、あれは妙に鮮烈だった。
私はあれを見て、デキシーズ何者ぞと思ったものである。

あれから16年もたって、前述のアルバムを最近久々にCDで買い直してみたのだが、多少古さを感じさせるものの、それよりも懐かしさを感じさせる。
ここでは一聴してかなり背伸びしたような感じの歌唱が聴かれる中、前向きなメッセージがとても心地よい。
それに私が買った洋盤のCD、ボーナストラックとして"Respect"のライブバージョンが入っているではないか。
Respectと言えば、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)で昔昔ヒットしたが、もともとはオーティス・レディング(Otis Redding)の作った名曲である。この事ひとつ取っても素晴らしいではないか。
これを聴くと、このグループはライブの方が活きる、そういった気持ちを強くする。
Otis Redding




最近ではニルバーナ(Nirvana)に興味があった。
(とは言うものの、もう最近ではなくなってしまった。90年代初頭。月日の経つのは早いものである)
彼らの出したCDは全編聴き通すのに神経がすり減ってしまうが、エネルギーは凄い。
というか、一見雑音的に聞こえるギターの扱いが好きだったのと、ワイルドな粗削りな感じのボーカルがたまらなく好きだったのである。格好良かった。
尤も、これはCDのプロデューサーの手腕によるものかもしれない。
このグループはこれからが活躍が大いに期待されると思っていたのだが、非常に残念なことにギターとボーカル担当だったカート・コバーン(Kurt Cobain)が94年に短銃で自殺して自然消滅となり、彼はグランジロックの伝説のヒーローとなってしまった。
KurtCobain
短銃自殺そのものは当時の私が英語版のTIME誌を購読していたこともあり、突然何の前触れもなく知ることになった。なんと、カートの暗く憂愁をたたえた顔写真が表紙を飾っていたのである。
私は記事の隅から隅まで解らない単語は飛ばしながら拾い読みし、自称ファンだったのでかなりのショックだった。泣けてくる思いがしたものだ。

92年の秋頃にNHKホールから代々木公園を歩いてみたら、ホコ天にてニルバーナのスタイルに似たバンド演奏がされていたのを憶えている。3人編成でドラムとベースのリズムのノリの良さは言うまでもなく、一見雑音的な響きのギターが絡み合った感じの演奏である。ボーカルは例のごとくシャウトしまくる。
今から思えば随分と懐かしく感じる。(あの頃はまだバンド演奏が許されていたのですね)
インディーズシーンのファンで彼(Kurt Cobain)を崇める人は多いらしい。
ニルバーナが活躍していた頃の私の注意は、グループの中心人物であるカートの言動にあった。曲や演奏もさることながら、全てカートの言動に注目していたと言っても過言ではない。
最後のアルバム「In Utero」の最後の曲、オール・アポロジーズ「All Apologies」に彼の最後のメッセージが託されていたようでならない。グループが存続していたら、よくも悪くも目が離せない存在だったろう。
ちなみに私は、アルバム「Nevermind」の中の「Smells Like Teen Spirit」という曲が最高に好きだ。
(Nirvanaをご存知でない方、どうも長々とすみません)




私はロックという音楽を考えてみるに、色々と枝分かれした表現としての多様性、自由性、思想(これは少し)、そして何よりもその放つエネルギーといったものに多く惹かれた。
Janis Joplin
新しいものを生み出して確立するということは大変なエネルギーがいるものだ。
勿論、創始といっても何もないところから一からできる筈もないので、それなりの下地なり他との相関関係があるのは百も承知だが、新しいものをこぞって競い合ってやり始めたような「ロックの創始期&黄金期」は凄いと思う。私はそういったものに強く惹かれるし、そういったものに対して今でも関心がある。
繰り返すが、ロックを他のジャンルの音楽と較べてみて凄いと思うところはそういったところにあるのではないかと思う。

私はロックといっても演奏の実際的なことは話の受け売りぐらいにしか判らないので、あまり偉そうなことは言えないのだが、こと作曲においては、これほどまでに傑作の数々が生み出されると、さすがにそれらを凌ぐものが出てこなくなっているような感じがする。
私が知らないだけなのだろうか?
R.E.M ShonenKnife Unicorn SmashMouth

今90年代も後半、一昔前の20年前の曲を焼き直したような音楽を平気で出してくるグループがいたりするが、そんなものは論外である。(昔ヒットした曲をカバーするというのではなくて)
ロックミュージックの世界に十年一日、相も変らずというのは似合わない。
私はオリジナリティーにこだわる性分なのだ。
Rock!!!??

1998/7/18 Toru Okajima

 



ゲイブリエルのアルバムが遂に出た。PeterGabriel

前作のUSが出たのが1992年の秋だったから実に10年ぶりである。そのアルバムタイトルは’UP’。この人のアルバムタイトルとしては、実に前向きなというか跳ねる様な向上的なネーミングである。ゲイブリエルとしては何だかそぐわない気がする。

UP。UP↑。

10年も経って彼も変わってしまったのだろうか?

前作がUSだから今作はUP?そんな期待と少しばかりの疑念の気持ちも込めて全曲を何度も聞き返してみた。その結果感じたものは、さすがに深い作りの味わいだった。アルバムジャケットも前作の赤い写真の陳腐さと較べてはるかに美しい。

私はCDをヘッドホンステレオに入れて外に連れ出して聴くのが好きなのだが、今回もそんなふうにして聴いてみた。別にゲイブリエルの曲を聴いて、普通一般なロック的なスカッとした気分を野外で味わうとか、エネルギッシュなパワーを楽しみたいといったような事は、10数年前ならいざ知らず、今のこの人のアルバムからは期待できないだろう。眉間にしわを寄せて聴くという程のものでもないが(そして知性派ミュージシャンという陳腐な表現も妥当ではなく)、ゲイブリエルの曲はついつい身構えてしまう。

そして、そこで聴いた楽曲はここ最近というか、今も頭の中から離れない・・・。

代々木公園や新宿御苑でヘッドホンで聴きながらやたらと歩き回る。あるいはベンチに座って、周りを何気なく見るともなく一人で聴く。それには歌詞も和訳されているものを一通り目を通しての事だ。

秋晴れの昼下がり芝生の上で二人連れがくつろいでいる。陽だまりの中で寝そべっていたり、何かやわらかく語り合ったり。遠くでは家族連れがバトミントンやフリスビーに興じている。犬も楽しそうだ・・・。こちらでは木漏れ日の中のベンチで語り合う老夫婦。少し離れて、秋のやわらかな陽のなかでベンチに腰かけて文庫本を読む学生。

そんな中ヘッドホンでこのUPを聴く。最近のテロに脅かされる(またはその逆の報復も)不安な社会を象徴した作品もあれば、孤独や死(誰もが持つ死に関した不安)をテーマに見つめた歌もある。また、魂の奥なる探求とも言える性への快楽がそれが刹那的なものである事を歌ったものや(実はそれが唯一の生きる場所だったりする。この曲名であるグローイング・アップだけがこのアルバムタイトルであるUPの類似点)、シングルカットされるという「バリー・ウィリアムズ・ショウ」という曲は、最近日本の民放テレビでも流行っている刺激的な(好奇心をそそる告発あり、尾行あり盗撮あり、虐待あり、嫉妬あり、暴力あり、性的興奮を刺激する話題あり、そしてやらせあり、最後には自己中心的なまでの本音をぶつけあう討論会といった)視聴率稼ぎな低俗な番組放映をパロっている。

このアルバムを何度も聞き返してみたが、UPというアルバムタイトルは皮肉にしか感じられなくなる。全体に重く、軽薄な軽い感じでの”アップ”はどこにも感じられない。いったい何を意図してのUPというタイトルなのだろう。

このアルバムの最後に「ザ・ドロップ」という静かな短い曲がさりげなく入っていて、この歌がさりげない形で終る事によりこのアルバムは終りとなる。しかし、これはよくよく恐ろしい歌だ。ここには救済の方策など全くなく、おそらくゲイブリエル自身も答えが見つからないまま考えあぐねているのだろう。くぐもった感じに諦観漂った感じに歌われる歌は特段に美しいというものでもない。

そこでは、飛行機から物が落下していくのを見ている「君」の視点とその様子をそれを見ている自分の視点がとつとつと語られていく。しかもその語られている情景そのものが飛んで過ぎゆく飛行機に搭乗しての見下ろしてものであるところが驚きであり、これには考えさせられる。飛行機の飛行と落下物の「落下」は現在進行的に進んでもいるもので、どこを飛んでいるのか解るべくもないのだが、この暗示するところは非常に深いと思う。それを、不安げなというより自信の無い、うなだれるような懺悔するような語り口でとつとつと歌っていく。ゲイブリエルの過去のアルバムを振り返ってみても、こんな事はかつて無かったことだ。いったい、どうしたというのだろう?

ピアノの弾き語りの特段にどうっていう曲ではないのだが、つい歌詞カードを見ながら聞き返してしまう。どういう意味だろう?「ドロップ(落ちる)」落ちるから連想して、世界はどうしようもないところまで堕ちようとしているのか。「外れる・・・」自然のごくあたりまえの道理や流れに逆らって外れていく・・・。あるいは物理的な落下から意味するとして、いったい何が落ちていくというのか。何が投下されているというのか。その物が雲を突き抜け落下していく先の地上とは何なのか? 飛行機に乗っている事の意味するものは何なのだろう。そして、この歌において「僕」と「君(少し穿った意味でこの歌を聴いている聴き手と解釈してもいい)」は何故に飛行機に乗っているのだろう? あくまでも、これらは地上から第三者的に見上げているといった視点ではなく、地上からは遥か上空にて同じ位置や立場にいての情景なのだ。ここでは物が落下していく先であろう惨禍を招くであろう所のことなど知る由も無い、加害の側の立場なのである。

ここにあるのは一人のミュージシャンとして、あるいはミュージシャンの立場から言える事として何か社会に警鐘を鳴らすといったものではなく、そんな事では既になく、あろうはずもなく、この世界に一緒になって同じ視線で悩み考えあぐねているといったスタンスが感じられる。スローガン的な啓発されるものや教示される類いのものなど、ここには何も有りはしない。アルバムタイトルにUPという命名をしておきながら、そのアルバムの最終曲にその反語とも言える「ドロップ」を持ってくるあたり、ゲイブリエルには考えさせられてしまう。

方策は無い。きれい事では済まない未知なる試練。いったい世界はどういった方向に進もうとしているのか・・・。このUPというアルバムで歌われる歌で、ゲイブリエルは聴き手にいったい何を語りかけているのか。ついつい何度も歌詞カードを読み返し、時には自ら和訳もしてみたりして曲を何度も聞き返すのである。 

2002/10/14 Toru Okajima

 

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