冬の鳥取砂丘シリーズ No.19

博物館にて

前回、鳥取県立博物館に行ったことをちょっとだけ書いた。
今回も博物館に行った時の事を述べようと思う。前回と違って、仁風閣ではない鉄筋コンクリートのものだ。
私が小学生の頃、ほんの短期間(一年程)だけ母親が鳥取県立博物館に勤務していたこともあり、博物館に入り浸りだったことがある。

前回述べた仁風閣に博物館があった時期の少し後で、あの当時、鉄筋コンクリート建ての立派なものが出来た後で建材の匂いがぷんぷんと鼻を突く頃だった。私が子供心に博物学者になりたいなぁと漠然と思っていたのもこの頃である。
母親がビルクリーナーの仕事をやっていたお陰で、私は博物館の裏手にある職員通用口からタダで自由に出入りできた。(実際には母親が入場料を払っていたと思う)
常設展示から企画ものの美術品の展示から、子供であることも手伝ってかタダでじっくり眺めることができた。これは、今では私にとっては少なからず財産となっている。

博物館の中には講義室があって、時々時間を区切られて映画が上映されてもいた。
椅子が中心に向かって半円形に並べられ、中心に行くほど低くなっていて演台が中央の一番低い所にある、よく大学の講堂などでみかけるあれである。
映写と音響設備が整っていてそれは立派なもので、子供の私は熱心に映画に見入ったものだ。
映画は主に科学ものと歴史物に分かれていて、一般の映画館で観るような面白おかしいものではなく、全てが学術用の少しばかり堅苦しいものばかりで、NHKの教育番組のようなものばかりだった。その映画の前には簡単な講義があったのを憶えている。
講義は大学の先生とか博物館の博士がされるのである。まばらな客を前にして厳粛な空気の中、講義が始まるのだ。




科学もので今でも記憶に残っているのは、恐竜ものだ。
化石の発掘の模様から始まって、その骨格の組立やら、想像の恐竜などがスクリーンに映し出される。これには興味津々、熱心に見入ったものだ。
何たって、帰ってきたウルトラマンがテレビ放映されていた時期である。
怪獣に近い恐竜ものに興味がない筈がない。
その他にはクジラの生態とかサメの生態、マグロの回遊、ライオンや熊やキツネの行動観察、鳥類の生態観察など。
昆虫ものも興味があったな。こちらはファーブル昆虫記を隅から隅まで熱読していたような時期だから、無理もないものがある。
上映されたもので、内容によっては湖沼に棲むミジンコやら藻の類いのテーマなど、細胞分裂や植物の光合成の実験、また砂丘に生息する植物についてのテーマなど、子供の私にはちょっとついて行けない難しいものもあった。

歴史ものでも科学ものと同じく、いわゆる発掘ものが多くあった。
遺跡や古墳の発掘だの、史跡の紹介だのといったテーマがずらりとあった。
エジプトのピラミッドからマヤの遺跡など、いわゆる考古学の定番ものに関したものから、日本古来の神社仏閣の探訪などである。
ちなみに、昔テレビで「すばらしい世界旅行」という番組をやっていたのをご存知だろうか?
NHKでもないのに世界各地の秘境の探検や遺跡探訪を撮った少しお堅いドキュメンタリーものだが、確かスポンサーは日立製作所とそのグループ企業がやっていて、「この〜木なんの木気になる木〜」のコマーシャルをやっていたと思う。
今思うにあの番組のイメージが、博物館で上映された映画にとてもよく似ていたと思う。
でも、こちらの方の遺跡探訪ものは科学ものに較べたたら正直いってあまり興味がなかった。
また神社仏閣もので、仏像や墓石の紹介や補修なんかのテーマは実に退屈だった。
歴史に純粋に興味が持てるようになったのは、ずっと後年のことである。

この時期よりも前に、学校の行事で湖山(ローカルな地名ですね)に古墳発掘にリクレーションで行ったことがあるが、別段大した感興も涌かなかった。泥の中から小さなお皿の破片を拾いだしてみたところで、子供の頃には大した興味も見い出せないのである。
そんなことで、歴史もののテーマの時もたっぷり上映された映画を観たのだが、それに相応するぐらい、たっぷりと眠りこけた記憶もある。私が当時退屈そうに思ったテーマについて上映される時は子供は殆ど来ていなくて、小学生は私だけだった。
退屈ではあるが、でも、賢いふりをして(体裁だけは繕って)一番前の方の席に座るのである。
この私の姿勢というか性格は、昔も今もちっとも変わっていない。

では、つまらないとは思いながらも、歴史もののテーマについて何に惹かれて、上映された映画に見入ったのだろう。

それは今考えてみるにつけ思うのだが、ロマンである。
こう一言で言ってしまえば、何だかキザでしかないのだが、時を越えたロマンとでも言おうか。
言うなれば、昔であることへの憧れのようなもので、どうあがいても昔へは行けっこないのだが、行ってみたいような思いである。

遺跡が発掘されてミイラが出てきた。怖いなあ。
だけど、この時代はどんな時代でどんな人が暮らしていたのだろう?どんな言葉を喋っていたのだろう?
遺品が多く発掘された。
鏡に勾玉、剣に矛。
ああ、どんな人がどんな心でもってこれを使っていたものだろう?

この昔、大昔、何十年前、何百年前、何千年、何万年前といった昔。
歴史探訪とか、ひいては歴史にかかわる全ての学問において、この時空のロマンというのは、他の学問がかなわないようなきらめきをもたらしているように思える。
歴史に於いてこのロマンが無かったら、実につまらないものだろう。
また他の学問であえて挙げるなら、天文学にも同じようなロマンがあると思う。
あれも遠くの星を見ながら、そこに行きたくても行けない、行って疑問を解決したい、けれどもそれが出来ない。光が発せられてからここに届くまでには何百万年もかかる。
すると望遠鏡で覗いてはいても、何百万年も昔を覗いていることになる・・・・。
そこに想像が発生し、素敵なまでのロマンが生ずる。




話を最近の頃に戻すが、博物館には現在ナウマンゾウの化石が展示されている。
骨格全てが見つかり、綺麗に組み上げられて、レンガ色に鈍く光っている。牙を持ったそのメスの象は全長は4.5メートルもあろうか、高さは人の背丈よりずっと高い。
私はしばしの間、その近くに佇んで思いにふけったのだが、それにしても、なんとまあ昔の象なのだろう。15万年前に生存していたらしいのである。
15万年前!
人間のありとあらゆる文化史を総ざらいしても、伝承されているものはかなり多めに見積もっても1万年には足りない。エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明、ギリシャ文明等、それから続くめくるめく西欧文明。
長いなあ。色々あったんだなぁ。
しかし、しかしである。件の象の生存していたのは、そのめくるめく1万年の何と15倍も昔なのである。
いやはや、なんという昔なのだろう・・・・と思う。そう思いません?
発掘現場は今の東京は日本橋の近く。地下鉄の工事現場で偶然見つかったらしいのである。
15万年前には、今の東京のあたりをこんな大きな象がのっしのっしと闊歩していた。
この象はどんな物を食していたのだろうか?
その頃の太陽はどんな輝きをしていたのだろうか?
遥か遠くには火山が大きく煙を上げていたことだろうな。
日本列島は、ほぼ今の形をしていたのだろうか・・・?

いやいや、こんな程度で感心していては、まだまだなのである。
博物館の同じ部屋に古代生物のアンモナイトの化石とウミユリの化石が展示してあったのだが、これが貴方、何億年も前のものである。
何億年も。
これが生きていた頃はどうだったのだろう。おそらく恐竜が闊歩してた時代には土砂の中の奥深くに堆積されて、既に化石になっていたのだろうな。
あんな昔の恐竜の時代でさえ、化石になっていたのである。
このアンモナイトの化石、恐竜の誰かれも見たことがあるのだろうか?
当時の彼らからも昔のものといったふうに、憧憬の念で見られたのだろうか。(それはないか)

私はその当時の状況に思いをめぐらして佇みつつ、いつしか時空のかなたへとタイムスリップしていた。
今からでは、想像にしか見ることのできない世界へ。
歴史のロマンとは、歴史を知る楽しみとは、勿論色々とあることだろうが、悠久の歴史、特に古代を知る楽しみとは、私はこういったところにあるものだと思っている。

1998/5/9 Toru Okajima

 

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

20

21

22

23

24

25


トップページへ戻る